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…と思うじゃん?(『プロミシング・ヤング・ウーマン』観たマン)

『プロミシング・ヤング・ウーマン』を観た。


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ささいなことであっても、人生を左右するようなことであっても、計画通りにことが進むことなど少ない。そのくせに、プランBを持っていないから計画が失敗に終わると、不思議と思考停止状態に陥ったりする。数量限定のアップルパイも、一般発売のプレミアライブチケットも、就職面接も、願望を叶えて勝者になることしか考えていない。敗者としての立ち振舞いが何もなく、悪あがき状態になったしまうこともある。勝ったと思ったのに…取らぬ狸の皮算用とはなんともよく出来たことわざである。

 

前途有望な若き女性という意味の 『プロミシング・ヤング・ウーマン』というタイトルと裏腹に、主人公であるカサンドラ(キャシー)は、その前途有望な人生とは異なる位置にいる。偉大を中退して、コーヒーショップで働くカサンドラには、夜になるともうひとつの顔があった。ひとりでクラブに行っては"泥酔状態"になり、下心むき出しの男性にお持ち帰りされることだ。そして、その男のベッドの前で急に"泥酔状態"を解くのだ。

 

本来、医大生だったキャシーが夜な夜なそのような行動に出るきっかけには、大学生時代のある悲劇的な事件が関係していた。そんなキャシーが働くコーヒーショップに偶然、同級生のライアンが来店したことで彼女の人生は大きく進展する。

 

事件に対するキャシーの復讐が大きな話に筋になるが、「お持ち帰りされたと思うじゃん?」「主人公にも幸せな瞬間が来ると思うじゃん?」と、作中の人物および我々が想定するルートをことごとく裏切っていく。一体どっちの展開に転ぶのか、レールが見えないジェットコースターに乗っているようで、まんまと、アカデミー脚本賞の上で右往左往だ。悲壮感を抱えて復讐へ向かうキャシーの映像とともにブリトニー・スピアーズの『TOXIC』が流れる。しかもストリングスヴァージョンなのがたまらない。息もつかせぬ展開が積もり積もって圧巻のクライマックスを迎える最後に「ある文字」が出たときに、自分の脳みそに稲妻が走った。思ってたんと違う!!

 

一般的に事件が発生すると、被害者と加害者が生まれる。それに加えて、傍観者というポジションが生まれる事件もある。通常の復讐系映画でいえば、加害者に対する派手な復讐がメインとなるが、『プロミシング・ヤング・ウーマン』では、事件の外側にいると自認していた人物にも、キャシーの復讐の手が及ぶ。傍観者も被害者の目から見れば、加害者のひとりなのだ。この形式を自分の人生に当てはめてみるとなんともむずかゆい。もしかして、自分もあのとき傍観者の立場だったのかもしれない。加害者の一端になっていたのかもしれない、と思うととてつもなく胸が痛くなる。キャシーの劇薬的な復讐は私にも影響を及ぼしていた。