砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(最近書いてなかった)

2020年もあと1ヶ月だ。あっちゅーまの師走である。案の定、ブログの更新頻度が減ってしまった。この言い訳を何度も繰り返しながら、年寄りになっていくのだろうと未来のことを徐々に思いはじめる。

 

この年になってはじめて親知らずを抜いた。痛みはないものの、今後親知らずが育ってくると口内環境が悪くなってしまうとの歯医者の指摘を受け決意をした。私の下の親知らずは横に生えていて、一筋縄では行かないらしい。歯医者さんいわく「砕きながら少しずつ取り出す」というバイオレンスな表現を用いておられたので、ビビりまくっていた。だけども手術日の朝、開いたTwitterでフォローしている人が、偶然にもその日、自分と同じく「砕きながら」親知らずを取ることをつぶやいていた。この日本で、同じ日に違う場所で親知らずが砕かれ、抜かれていることを考えると少しおかしくて気分が軽くなった。

 

手術台(といっても歯医者さんで座るあの椅子)に腰掛け、麻酔を打たれる。徐々に麻痺する感覚を楽しみながら手術が始まった。もちろん口の中ではどういう作業が行われているかわからないが、ドリルのような音が響き渡る。「これから砕きますからね〜」とか細い声の歯医者さん。どういう器具を使っているかはわからないが、聞こえてくるのは「ばきばき!ばきばきばき!」という音。確かに砕かれている。バイオレンスな表現は間違いでなかった。その後、何度か破砕音が聞こえ、無事に親知らずは抜けたようだ。「抜いた歯を持って帰りますか?」と歯医者さん。血まみれの親知らずは食べ散らかしたクッキーの欠片にも見えた。もう少し眺めていたくて持ち帰ることにした。診療明細書には「難抜歯」と書いてあった。VERY HARDみたいに言うなよ。

 

家でピクミン3をやっている。ピクミンはAボタンを押すだけで簡単に引っこ抜ける。横に生える親知らずのことを思い出して腹が立ってくる。難抜歯なめんなよ。はじめてのピクミンだったので、最初は操作がおぼつかなかったがだんだん慣れてきた。しかし、食べられたり潰されたりして召されるピクミンたちの断末魔の叫びはトラウマになる。昇天するときの消え入りそうな声が頭から離れず、寝るときにふと蘇ってくる。ごめん、ごめんねと、罪悪感が睡魔に打ち勝つ。きっと悪い事したら自首するタイプだな自分。

 

 

しもふりチューブの100万人突破記念「粗品実家回」がたまらなく好きだ。

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カウンターしかない焼肉屋で、手際よく料理を出す粗品と模範酒袋のたたずまいのせいや。こういうご時世だからみんなでワイワイ焼き肉に行けないけども、しっぽりと焼き肉をするのも悪くないなと食欲をはじめとする感覚がうずく。

 

カウンターを挟んでの会話も、常連さんと店員さんのじゃれ合いを聞いているようで、楽しくなる。カウンター芸とも言うのだろうか。いいコンビは不思議とカウンターでの据わりがいい、たけし・さんまが元祖?で、自分ら世代はナインティナイン、最近はあちこちオードリーがカウンター番組のど真ん中だ。霜降り明星のカウンターを挟んだセットのトーク番組が始まらないかなあと、自分が届けられそうな距離の編成部長にテレパシーを毎夜送っている。

 

 

 

 

 

これだよドラン!(『マティアス&マキシム』観たマン)

『マティアス&マキシム』を観た。


グザヴィエ・ドラン監督&出演!映画『マティアス&マキシム』予告編

 

色々あった2020年の日本で、よかったことのひとつ。それは1年で2本もグザヴィエ・ドランの新作映画が映画館で観れるということだと思う。きっと世界中探してもこの日本だけに許された特権なんだと思う。予告編前に最近良く見る映画館の換気能力のビデオが流れる館内で本当にありがたい気持ちで、グザヴィエ・ドランが監督・脚本・主演の新作『マティアス&マキシム』を観た。

 

表題の通り、マティアスとマキシムという幼なじみが主役のドラマだ。共通の友人の妹・エリカの自主映画に協力した際に、2人はキスシーンを演じる。そのキスシーンからどこか2人が隠していた感情が徐々に流れ出す。だけどもマティアスには婚約者がいて、マキシムはまもなく仕事の都合でオーストラリアで飛び立つことが決まっていた。2人がそれぞれ抱く葛藤の先にはどんな結末が待っているのか、観客は見守ることになる。

 

今年の春に劇場公開された『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』が、ドランにしてはポップな作風だったのに対し、この『マティアス&マキシム』は、ドラン度100%といっても過言ではないほど、ドラン映画としての要素がこれでもかと詰まっている。たとえば『ジョン・F』では、今までのドラン作品では描かれなかった母との和解のシーンがあった。ドラン自身にも心情の変化があるのかと、やや驚きつつ観ていたが、『マティアス&マキシム』では、母と(やっぱり)大喧嘩。これこれ!これだよ!とニヤついてしまった。ドラン好きの我々は、美しい色彩描写と男性主人公による秘密の恋愛と母と大喧嘩しないと満足できない脳になってしまったのだ。

 

劇中のマティアスとマキシムのそれぞれの葛藤の描写も本人たちに思えば苦しい瞬間なんだけども、どこか愛おしくみえるのはなぜだろう。葛藤を彼らなりに爆発させるシーンに共感しつつも、一心不乱に湖を泳ぐなど、その感情の晴らし方の描写に惚れ惚れするし、湖の水面を始め、ブランコやウォーターベッド、ろうそくなど「ゆれ」ているもので彼らの心情を表現するのも憎い。

 

劇場で新作映画を見ると、この作品と同じ時代に生まれてきた幸せを度々感じる。まだまだドランの新作が観れる未来でありますように。

 

笑いを誘う

芸能・エンタメに関する話題が好きでWebニュースもよく見ているんだけど、たまに一瞬読むのに詰まる瞬間がある。違和感のある言葉が、違和感なく至るところに使われているのだ。

 

たとえば「〇〇すぎる」という表現。これに対する違和感を持っている人は私以外に多くいるはずだ。「可愛すぎる」「カッコ良すぎる」「天使すぎる笑顔」みたいな、褒め言葉が溢れている。もう無意識で「すぎる」をつければ、K点を突破した表現になるとお思いだろうが、読者にとってみれば脳内に文章をインプットするときには「すぎる」を一度外しているのだ。大体「天使すぎる笑顔」ってなんだ。天使の笑顔さえも知らねえのに。それを通り越したらそれはゼウスかなにかじゃない?要は、この「すぎる」という言葉は過包装なのである。ゴミ出しするときに分別が大変になるので、その辺はすっきり「可愛い」「かっこいい」「素敵な笑顔」でいい。

 

他に気になるのは「美ボディ」という言葉。「Instagramで美ボディ披露に称賛の声」という決まり文句を何度見たことだろう。漢字とは便利なもので、一字付け加えるだけで伝えたい表現にすることができるが、この「美ボディ」はなんだかむずかゆい。これは私が頭の中で音読をしてしまうのが原因なんだと思う。「美」をその場しのぎで頭につけたことにより、バ行が連続するのが、どうも「美」じゃないというか。

 

この接頭辞としての「美」を許すのであれば、美しい原色は「美ビビッドカラー」だし、美しい野球は「美ベースボール」だし、美しい石焼韓国料理は「美ビビンバ」で、美しいブラックビスケッツのボーカルのことは「美ブラビの美ビビアン・スー」と表現しなければならない。頭の中で音読してご覧なさい。シナプスがビビビッと混乱してしまうでしょ。いやいや、それでも問題ないというなら、あなたの玄関のドアにお土産をかけておく。不格好な出来のスイーツ「醜シュークリーム」をおやつにお茶会でもするがいいさ。

 

そんなむずむずしたWebニュースについて、最近気になる慣用句がある。「笑いを誘う」という言葉だ。よくPRイベントのレポート記事や、テレビ番組の放映内容のまとめ記事などで使われる表現だが、むずっとした原因は、結果が書かれていない点にある。

 

考えてほしい。もし、誰かがボケたりツッコんだりして、笑いを誘った結果、会場や周囲が笑ったらなんと書くだろうか?「笑いが起きた」と書くのが筋だし、そう書いたほうが、読み手も現場の和気藹々とした空気感がイメージしやすい。しかし、書かれている文章には「笑いを誘う」プロセスで止まっているのである。。。

 

あえて残酷な現実を晒してしまうが、「笑いが起きた」が、嘘になる結果になったということだ。「笑いを誘った」という反語的表現によって、ひとりの芸能人がスベったことが全世界中に明らかにされてしまうことに気づいてしまったのだ。この真理を知ってしまったあなたは今すぐYahoo!ニュースの検索欄で「笑いを誘った」という言葉を入力してエンターキーを叩きたくなったはずだ。そこには美しい屍が山のように重なっているだろう。

news.yahoo.co.jp

 

そんな意地悪すぎることばかり思いつく私の心は、回収されればいいのだと思う。「醜収集車」が私の前に現れることをどこかで期待している。と、笑いを誘った。