砂ビルジャックレコード

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俺もおそれている【ボーはおそれている】

『ボーはおそれている』を見た。


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「置かれた場所で咲きなさい」という言葉がなんだか苦手だ。この世界において私達は同じ条件で人生のスタートを切れるわけではない。先天的なアドバンテージの違いがあることを踏まえたうえでの言葉かもしれないけど、言われた側の「置かれた場所」をまったく想像していない投げやりなアドバイスに聞こえてくる。咲きたくても咲くことができない花のことをつい考えてしまう。

 

『ボーはおそれている』のボーの立場になったときに、電話越しからこの残酷に美しい言葉を告げられたらおかしくなりそうだ。遠くに住む母親に会いに行こうと計画を立てていたのに、その直前に厄介な隣人に狂わされることから数奇で不条理なことが起こり始める。しかも母親が突然シャンデリアの下敷きになり、死んでしまったという知らせも受ける。なんとかして実家に向かおうとするボーだけども、その道中は災難ばかりだ。

 

3時間の物語の中でボーに降りかかる出来事になんとか笑い過ごすしかない。絶対に嫌なシチュエーションが続くから、観客側も心が削られるのだが同時におかしさも込み上げる。圧倒的なスラム街(ボーはなんでこんなところに住んでいるんだ)、全裸の殺人鬼、何かがいる風呂場、子供部屋の病室、チャンネル78。気弱なボーはずっと負け顔なんだけど、母親の葬儀に駆けつけなければいけないその一心で、窮状から逃げ続ける。

 

全4部で構成されているボーの受難。ボロボロのボーは果たして母親の葬儀にたどり着けたのだろうか。この旅路の果てでボーは報われるのか見てきたが、とてつもなく汗をかいた映画だった。もう一度見たいけどもう一度見たくない。そんな感情だ。

私は押されがちな正確だからどことなくボーの性格にシンパシーを感じてしまう。突然、自分の住んでる街がヘロヘロな半裸人間ばかりで溢れ出したらどうしよう。偶然、置かれた場所は幸いにも平和だけど、人間なんて脆いからいつ不条理な展開が起きてもおかしくない。いつの日か、ボーみたいに追い詰められるときが来るかもしれないということを想像しだしたら恐れが止まらなくなった。