『火口のふたり』をオンライン試写会で観た。
恋人だった人のSNSのアイコンが、突然ウェディングドレスを着ている写真になっていたことがある。その人とは連絡もしばらくとっていなかった。結婚を決めた人がいること、その彼がどんな人間なのかなんて知る由もなかった。ただ、これは自己中心的な思いだけど一言だけでも自分に言ってほしかった。かといって、その理想の状況になったら自分は、引き出しの奥からホコリまみれの未練を取り出して、次の行動にうつしてしまいそうになる。だから、何も言ってくれずに結婚してくれたほうが正しい。
『火口のふたり』は結婚を控える女性・直子と、過去に関係を持っていた男・賢治のたったふたりだけが登場する映画だ。直子の結婚式のために、賢治は秋田へ帰郷する。そこで久々の再会を果たしたふたりは、思い出話に浸りながら、一夜だけと、過去の関係に戻り始める。直子の結婚相手が帰ってくるまでの5日間のモラトリアムの話だ。
アメリカでは独身最後の夜を友人たちでハチャメチャに過ごすと聞いたことがある。『ハング・オーバー』みたいなイメージだ。それに比べて、この『火口のふたり』は男女二人だけで行うバチェラー・パーティーのように感じた。結婚したら、二度とこの関係に戻れない。人生におけるひとつの最後を惜しみながら作中のふたりは何度も愛を重ねていく。
「最後にやり残したこと」というと、大げさだが、やることは決まっている。ふたりで食事、ふたりでお風呂、ふたりでセックス。そして、イレギュラーに起こる限りなく小さな事件。そこにあったはずの日常が映し出されるが、なんとなく世界の終焉が迫りくる暮らしに思える。東京のような人混みにまみれている描写はほとんどなく、秋田という地方都市が舞台というのも影響しているのかもしれない。終わりゆく幸せを感じながら食べるアクアパッツァが美味しそうであった。(このときに、私はアクアパッツァを作れる人間になりたいと固く誓った)
最少人数で共有している世界だからこそ、この物語が進むにつれて明らかになる事実は衝撃的だ。時折、説明的なセリフもあるが、この作中の2人だけが知っている世界は、第三者の観客が知った事実よりも、もっともっと濃密で暗くて、そして美しいのだと思う。