砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

自分が主役の恋愛ぐらい最終回は録画したい(『花束みたいな恋をした』観たマン)

『花束みたいな恋をした』を観た。


菅田将暉&有村架純が激しいケンカ『花束みたいな恋をした』140秒予告

 

人と付き合うことってなんだかバラエティ番組みたいだなと思うことがある。これはきっとバラエティ番組が大好きな私の偏った考えが生み出したものであるが、あながち間違っていない。この人と時間を過ごしたらきっと楽しいと思ったり、ロケ(デート)したり、不思議な決まりごとのゲームをしたり、ただただふざけたり、共通点はとっても多くあると思う。

 

『花束みたいな恋をした』は、「アメトーーク」のくくり方のようなピンポイントの共通点を持った大学生の絹と麦が偶然出会うことから物語が始まる。押井守天竺鼠の単独ライブ、穂村弘ジャックパーセル。今まで出会わなかった事自体が奇跡だったような二人が急接近し、やがて二人は恋仲となる。この付き合うか付き合わないかぐらいで二人がジョナサンで語らう場面から、私はキュンキュンが止まらなくなる。(罪深いことに、ほむほむ大好きな自分はここで麦と自分を重ね合わせ始める)

 

結果から言えばこの二人は別れてしまう。物語は、絹と麦が、恋人関係だった5年間(2015年〜2020年)を追いかけたものだ。そりゃ価値観(価値観は本棚をチェックすれば一目瞭然だ)がとても近い運命の人みたいな人との付き合いたては楽しくて、観客側から観てもきらきら美しく感じる。同棲を始め、猫を買い始め、何をやってもうまくいく。勢いが止まらないまま、深夜バラエティの放送時間が昇格するような。

 

ただ、放送時間が昇格すれば、その分責任を伴うわけだ。番組を見る層も変わってくるわけで、深夜のノリのままではいられなくなる。大海原に浮かべた小舟のような住まいの二人に社会の荒波が徐々に押し寄せていく。二人で生きていくこと、好きなことをしてお金を稼ぐことの難しさを知った二人の距離は段々と離れていってしまう。二人のためにと、大好きなイラストを一旦諦めて、定職に就く麦の変わり果てた姿に心が痛くなる。遠くを振り返れば無敵オーラで生活を驀進していた二人がいたのに。

 

すれ違った結果、二人は別れてしまうのだが、このシークエンスも胸に来るものがある。お互い別れを意識しながら横浜のみなとみらいの観覧車に乗る。今までの日々を振り返る瞬間がバラエティの最終回のようだった。こんなロケ行ったよね、そのときそんなことを言ってたっけ、そうそうこのときこんなハプニングがあって。恋人として過ごした日々をもっと深く刻みつけるように話し出す。

 

観覧車での語らいの後、絹と麦はカラオケでフレンズの『NIGHT TOWN』を歌うんだけど、自分の頭の中では、画面の下半分にエンドロールが流れ出す。『とんねるずのみなさんのおかげでした』の最終回の見すぎなんだろうか?HDDから消したくないから、恋愛でもバラエティでも最後の瞬間はしみじみ笑顔でいたいものだ。

 

そして、この絹と麦の恋愛の終わりは、誰かの恋愛の始まりでもある。絹と麦が恋愛していた枠には、他の誰かの恋愛が入るのだ。出会いと別れは繰り返されて、僕らは、神様の編成の中で生きている。バラエティ番組のような恋愛は、すぐ打ち切られるか、長寿番組になるかは神様さえも知らない。