『ちょっと思い出しただけ』を観た。
大小の程度はあれど、人生に影響を与えるほどの映画に出会うことがある。自分の場合はジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』がその映画のうちの1本だ。この映画は、欧米の5都市の同じ夜にタクシーの中で起きたドラマをオムニバス形式でまとめた作品だ。
『ナイト・オン・ザ・プラネット』のロサンゼルスを舞台にした一編で、整備工を目指すタクシードライバーをウィノナ・ライダーが演じているのだが、これがめちゃくちゃかっこいい。キャップを反対にかぶって、タバコを吸いながらタクシーを運転するウィノナ・ライダーに刺激され、そこからタバコを美味しそうに吸う女性に見とれてしまうようになった。高校生〜大学生ぐらいの私はその時からウィノナ・ライダーに歪まされてしまい、この作品が人生のライブラリー入りした。
そして、自分よりも遥かに影響を受けたのがクリープハイプの尾崎世界観だ。クリープハイプの「ハイプ」がニューヨークの一編で出てくる客・ヨーヨーのセリフから取ったそうだ。そして、この間リリースした曲のタイトルが『ナイトオンザプラネット』で、とても心にしみる作品だ。この『ナイトオンザプラネット』に連動するようなかたちの映画が『ちょっと思い出しただけ』だ。
主演は池松壮亮(照生)と伊藤沙莉(葉)のご両人。物語は2021年7月26日の夜から始まる。タクシーの運転手である葉は、乗車中のお客さんがトイレで車から離れている間に、誰もいない劇場に立ち寄る。そこには昔の恋人だった照生が、無人の舞台で踊っていた。そのとき葉は、ふと、昔のことを思い出すという内容。
この、池松壮亮と伊藤沙莉の演技が素晴らしい。池松さんはなぜ喧騒の東京があんなに似合うのだろう。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』でも感じたけど、孤独と優しさと色気がスクリーンを通して伝わってくる。そして、『ボクたちはみんな大人になれなかった』でも、主人公の彼女役だった伊藤沙莉さんは国民の元カノになりました。あんなに彼氏を愛して、キュートな表情を見せてくれる彼女がいたら、そら大事にしたくなる。(ただ、この2人は別れてしまうけども)
最近、なぜか多く公開されている恋愛回想系映画だけども、『ちょっと思い出しただけ』は、独特な切り取り方をしている。それは、ある年の7月26日だけを切り取り、2人の関係性を語っているということだ。別れそうなある年の7月26日、めちゃくちゃラブラブな7月26日など、ある1日だけを定点観測のよう描いて、時系列は過去へと話が進んでいく。『ブルーバレンタイン』みたいなイメージといえばわかりやすいか。
作中でもジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』を主人公たちが家で観るシーンがあったり、そのロサンゼルスのワンシーンを照生と葉が真似したり、オマージュした場面が多い。そもそも、女性である葉がタクシードライバーで喫煙者という設定からも影響力が強いことがわかる。葉のタクシーに酔っ払い3人が乗車するシーンがあるのだけども、あれは間違いなくヘルシンキ編のオマージュだと睨んでいるんだけどもどうなんだろうか。
同じジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』への影響もあったと考える。日常や街のパートが『パターソン』で、タクシーパートが『ナイト・オン・ザ・プラネット』の雰囲気だ。パターソンはあるカップルのある1週間の日常を切り取った映画だ。切り取り方は『ちょっと思い出しただけ』の方がトリッキーだが、ベッドで寝ている主人公から、その1日が始まるという点は共通している。
明らかに『パターソン』じゃん、と言いたくなるのが、謎の男として登場する永瀬正敏だ。『ミステリー・トレイン』などジム・ジャームッシュ作品にも出演してる彼がベンチに座っている。もうそれだけでいい。ここはジム・ジャームッシュの世界のパラレルワールドなんだ、と少し幸せな気持ちになった。
この手の恋愛回想映画を見ると、どうしても自分も過去の恋愛と重ねたくなってしまう。大学生のときに、少し清楚な身なりでちょっと苦手だなと思った女の子が居酒屋で恥ずかしそうにタバコを吸い始めたことを覚えている。ウィノナ・ライダーのおかげで急にその子のことを意識しだした秋だった。ごめん、自分も思い出しただけです。
映画館を出て、夜になった冬の東京を歩きながら聞くクリープハイプの『ナイトオンザプラネット』が心地よかった。赤信号のときに目の前を通ったタクシーに少しだけ思いを馳せた。