砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

外付け記憶としてのモノ(『ハッピー・オールド・イヤー』観たマン)

『ハッピー・オールド・イヤー』を観た。


映画『ハッピー・オールド・イヤー』予告編

 

星占いによると今冬に「土の時代」から「風の時代」に移行したらしい。土の時代は「物質やお金」に象徴される時代で、風の時代は「情報やコミュニケーション」などが象徴されるという。つまり、星占い的に言えば、モノの時代が終わり、形のない要素の時代になったようだ。電子化だったり、シェアやサブスクだったり、風の時代に移行したという肌感覚はなんとなくわかる。といっても、私はどうしてもモノに固執してしまう。

 

いや、必要ないものは捨てなきゃとわかっているんだけども、「いつかこれを使うときが…」と伝説の勇者の剣みたいな扱いをした結果、部屋の中をモノが圧迫している。勇者はどうやら私の前でAボタンを押してこない。そんなモノにまみれた私の目の前にタイの断捨離映画『ハッピー・オールド・イヤー』が現れた。衝撃を受けた映画『バッド・ジーニアス』の主演、チュティモン・ジョンジャルーンスックジンに、同作の製作スタジオが再びタッグを組むと言うんだから行くしかない。がらくたの大掃除もせずに映画館へ向かった。

 

 

takano.hateblo.jp

 

 

スウェーデンに留学していたデザイナーのジーンは、バンコクに帰国後、母と兄の3人で暮らす実家のリフォームをはじめる。リフォームのためには、家の中にあるものを処理して空間を作らなければならないために断捨離を開始する。整理をはじめると、友達からのプレゼント、借りっぱなしのレコードや楽器、さらには、元恋人のカメラも出てきて、ひとつひとつモノと、その当時の人々のエピソードに向きあうジーン。自分のモノだけでなく、出ていった父が残したグランドピアノの処分も企てるが、母の猛烈な反対に会い、リフォーム計画は雲行きが不透明に。果たしてジーンは、リフォームを完成されることができるのだろうか?

 

断捨離という言葉が流行りまくって、モノ派の自分は負い目を感じつつあった。きれいな家を作るため、新しい環境を作るための痛みを伴う改革として考えればとても聞こえはいいけど、「なんでそんな簡単にモノを捨てれるの?」という違和感があった。『ハッピー・オールド・イヤー』は、その捨てること=是とする行き過ぎた価値観に歯止めをかけてくれるような印象だ。(といってもモノ派の意見なので、これって自己肯定してるようでもある)断捨離の伝道師、こんまりの映像が作中に流れるんだけど、その模様を見て「天使の顔した悪魔だ」とぼやくのにニヤッとした。ミッドナイトシャッフルかよ。

 

モノを愛でてもミッションはリフォーム。そのためには捨てることが必要だ。『ハッピー・オールド・イヤー』では捨てられるモノを中心とした人間関係の描写が多い。ひとつひとつのモノにその人の歴史がしみついていて、贈与や貸借もあるから、人のつながりも存在するのは当たり前だ。きっとモノを借りていなかったら切れていた縁もあっただろう。

 

「モノより思い出」というキャッチコピーが一時期流行ったけど、考えてみれば、モノで思い出すあのときの気持ちもあるわけで、なかなか分けることができない。借りっぱなしのモノを返すシーンでも、返された側の気持ちも様々だ。たとえずっと手元になくても、人々はモノに自分の人生の一部を預けている。そのモノの記憶を紐解いたときに立ちのぼる言葉は、懐かしかったりほろ苦かったりする。(それにしても行動を起こさなければ永遠に借りパクしてたジーンってずぼらじゃない?)

  

自分がなかなかモノを捨てられないのは、それだけ思い出を失うのが怖いだけなのかもしれない。どこかで過去を否定したくないみたいな安いプライドもあるのだろう。「モノを捨てる」という行為の難しさを改めて痛感する。モノも、モノに依存した思い出もクラウドに保存したい。