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ノートだけ借りるやつほんと嫌い(『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』観たマン)

『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』を観た。

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タイ料理といえばガパオ、エビがのったパッタイに、カオマンガイ、そんでトムヤムクン、もちろんカレーも見逃せない。食欲をそそるものばかりで、気づけばタイ料理屋さんに入っていることも多い。きっと異国の料理店に行くときにパスポートが必要な世界であったら私のパスポートはティーヌンのビザばかりだ。

 

では、タイ映画はどうかといわれれば、ほとんど思いつかない。「アタック・ナンバーハーフ」か「チョコレート・ファイター」だ。オネエかアクション、その2択しか出てこない乏しい頭を許してくれ。そんなタイ映画=視覚的インパクトが強いという私の固定観念を鮮やかにぶち壊す映画に巡り合ってしまった。『バッド・ジーニアス』だ。

 

舞台は、タイの進学校。教師を父親に持つ少女・リンは成績も優秀。奨学生としてこの進学校に入学する。その高校で出会った友達・グレースの頼みから、彼女にカンニングの協力者になることを承諾してしまう。そのお人好しなカンニングから、学校中を巻き込んで人生を狂わすほどの壮大な事件が起こる。

 

この映画では、「テスト中にどうやってカンニングするか?」というところが一次元として存在する。シンプルな悪事だが、もちろんカンニングが重罪であることなど義務教育をきちんと通った日本国民なら承知だ。このハラハラ感を、スローモーションやリンとグレースの豊かな表情でスリルある表現にしている。全然時間が進まないのに、ページ数はやけに多くなるスポーツ漫画のようだ。

 

カンニングをする/防ぐの関係性により、少年少女(生徒)vs大人(先生)という対立構造がぱっと見えるが、生徒たちの人間関係も複雑なのが、この映画に深みをもたらす。グレースのボーイフレンドであるパット(2018年にこんなキザまだいたん?)や、この学校のもうひとりの天才・バンクも巻き込まれていき、この騒動が加速していく。特に天才少年バンクのことに慈しみたくなる。あったかいお味噌汁を飲ませてあげたい。規律に厳しく、小さなボロボロのクリーニング店の実家も支える彼を主としたドラマとして見ると本当に考えさせられる。

 

生徒たち、子どもたちのコミュニティの間で起こるドラマ。結果を残さないと行けない状況下で起こるベビーフェイスとヒールの対立構造。ただ、この環境を作っているのは、学歴社会という重圧というのが皮肉だ。

 

親に喜んでもらいたいから成績を取る。成績を取るためにズルをする子供がいるという切なさ。年を重ねるごとに、学歴社会という戦場に送り出す側に近づいたときに「カンニングは良くない」と堂々と言えなくなっている僕がいる。このような遠因を作った大人たちに対する、少年少女の創造性あふれるカンニングは、むしろ正義の行動にも思えてくる。彼らは未来を賭けているのだ。

 

ただ、急がば回れだとは言わせてくれ。勉強は積み重ねが重要だ。一夜でいい成績を残せるなら、教育業界なんてないんだから。大学のときにろくに授業も出ずに、ノートだけ借りてテストを乗り切った誰かが所得の低い暮らしを送ることを今も願っています。