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一生のお願いの使いどころ【プアン/友達と呼ばせて】

『プアン/友達と呼ばせて』を観た。


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一生に一度のお願いを使うことは難しい。なんせ一生に一度しか使えないのだから。お願いする人との関係性やお願いしたいことの無謀さを考えて、お願いを引き受けてくるれる可能性を考慮して、いつか「一生に一度のお願いだから!」と懇願する日が来るのかなと思っている。だけど、本当に使うときは四の五の言ってられない気もする。

 

『プアン/友達と呼ばせて』はタイとニューヨークが舞台の男性二人の友情を描いた映画だ。ニューヨークでバーテンダーとして働いているボスは、旧友のウードから久しぶりに連絡をもらう。ウードは白血病で余命があとわずかしかなく、ボスに最期のお願いを聞いてもらおうとしていた。ウードの最期のお願いとは、元カノに(自分が死ぬことを告げずに)最期のお別れをいうこと。その運転手としてボスはタイに戻ってくる。ウードとボスの最後の旅が進む中で、ウードはボスにある秘密を打ち明ける。『バッド・ジーニアス』のバズ・プーンピリヤ監督の作品で、『バッド・ジーニアス』の主演だったチュティモン・ジョンジャルーンスックジンもウードの元カノ役として出演している。

 

「一生に一度のお願い」ってそれぐらいぶっ飛んでいる方がお願いしがいがあるものかもしれないけど、冷静に考えると、ウードのお願いはかなりクレイジーだ。登場する元カノたちの反応は様々だ。ロマンティックな最期の別れもあるけれど、元カノにもそれぞれの人生の続きがあって、突然元カレがやってくるわけなのだから困惑せずにいられない。そのリアリティを持って描ききっているからこそ、醒めずに物語に没入できる。ウードから見ればロマンティックな最終章かもしれないけど、生き続けるものにとっては、まだまだ人生の一日だ。

 

同じタイ映画で、チュティモンが主演を務めた『ハッピー・オールド・イヤー』は断捨離が映画のメインテーマだった。『プアン』とは”過去を精算する旅”という点で共通する。『ハッピー・オールド・イヤー』は、リスタートとしての精算だが、『プアン』は終活としての精算であるし、両作ともに、元恋人と会う気まずい場面があるのだけども、感覚的に『プアン』の方が男性的な目線での描写が強い。近い年に似たようなテーマを持つ映画が出てきたのは偶然なんだろうか。断捨離は仏教の考えにインスパイアされたという話も聞いたことがあるし、"精算"することに、タイ的な思想が隠れているのかも知れない。

 

『プアン』の前半はウードの話で淡々と進んでいくのだが、物語が佳境を迎えると運転手を担っていたボスの話に主軸が映る。この展開も意外だったし、それを示唆するように車でかけていたカセットテープがB面にひっくり返る演出がニクい。そういう小粋なやつが大好きなのだ。

 

ボス側の視点も描くことにより、ただの人生のエンディング的な映画でなく、残されたもの側の未来も提示している。親友を失うこと、その先の人生を生き続けることを想いながらエンドロールで流れる"Nobody Knows"という曲を聞いたら、ワンワンなくというよりウーウー泣いてしまった。

 

作中にところどころ映し出されるパタヤの町並みがとても綺麗で、一度訪れてみたくなった。特にパタヤでボスが迎えるとあるシーンにはときめいてしまった。一生のお願いだから、あんなロマンティックな瞬間を迎えたい。