『アルプススタンドのはしの方』を観た。
青春が30歳くらいにあればいいのになと思う。高校生活を青春の終わりとすると18歳を過ぎてしまえば、あとはどんどん遠くなる。人生は周回コースではないから、いつの間にか遠くなった青春の蜃気楼を眺めることしかできない。しかも私は、しっかり青春をしてきた自負が無いから、蜃気楼を詳しく見るための双眼鏡も買い出すタイプだ。帰宅部の友達少ない人間がきっとこの先手放すことのない双眼鏡。俺だってシーブリーズのフタとか交換したかった。
流行りは変われど自分が高校生の時の人間関係やコミュニティの構図は今も変わらないことに気づく。それが『アルプススタンドのはしの方』で中心的に描かれる高校生たちだ。夏の甲子園に自分の高校が出場したため、応援しに来た3年生の4人(演劇部の安田、田宮、元野球部の藤野、ガリ勉の宮下さん)は、なぜか目の前の試合に対してすごい冷静で、応援団や吹奏楽部と温度差がある。甲子園での主役も脇役にもなれずNHKで1秒も映ることのない彼らにだって人生があって、悩みがあって、ぶつけられない気持ちがある。その気持ちの交差が、野球の展開とともに進展していくという話である。
甲子園という設定だが、全く野球のシーンは出てこない。ただ、ブラスバンドの奏でる曲と応援の音とアナウンスだけで試合の展開がわかるのだから、野球というのは不思議なスポーツだ。(そして、我々が野球のシステムに慣れすぎてしまっている証拠である)今年は夏の甲子園が中止なのだから、この音楽を映画館で聞くだけでもなんだか嬉しくなる。あとは柳沢慎吾の横浜vsPLの模写を見ればパーフェクトだ。
原作は高校演劇の戯曲ということもあり、いつまで経っても不変な高校生活のリアリティがそこにある。ただ4人が、同級生の話や学校生活の話をしているだけなのに、なんだか自分の高校生活と重ね合わせてしまう。すでに失ったと思っていた高校時代の感覚をこの映画が思い出させてくれる。果たして自分が、この高校ならどの席にいるのだろうか。この中心の4人を自分の学年に当てはめると〇〇さんかもなあと、決して人と共有してはいけないノスタルジーにも浸りだす。
そういえば自分の通っていた高校にも野球部があったのに、一回も応援に行かなかった。市営か県営かわからないけど、火照った固い固いシートに座って、日焼けも怖がらずに野球部を応援しなかった高校生活を激しく後悔した。