砂ビルジャックレコード

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高校生してんな〜(『子供はわかってあげない』観たマン)

子供はわかってあげない』を見た。


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自分が卒業した高校は、坂の上にあるし、校舎がコの字型になっていて、登下校の様子を校舎から眺める事ができるし、なんなら、有名な漫画のモデルにもなった高校だ。この高校を選んだことは良かったと思うけども、唯一のウィークポイントだと思うのは、屋上がなかったことである。校舎の中で最も大人の目の届きにくい場所であり、最も空に近い場所である。高校を舞台にしたフィクションの作品では、たいてい、その屋上で悪めのやつがタバコを吸ってたり、ヒエラルキーに属しないやつがだらだらしていたり、やけに大声を出してみたり(きっと「未成年の主張」のイメージに引っ張られている)、そんな「高校生してんな〜」な瞬間を一度でも迎えてみたかった。

 

子供はわかってあげない』は、田島列島の上下巻に及ぶ漫画が原作の青春ボーイミーツガールである。主人公の朔田美波(上白石萌歌)は水泳部で、部活終わりに、屋上で書道部の門司(細田佳央太)が、『魔法左官少女バッファローKOTEKO』のイラストを筆で描いているのを目撃し、屋上へ向かう。美波はKOTEKOの大ファンだったのだ。そこから急速に距離を縮める二人。そんな夏休みの最中、門司の家にあった、ある一枚の紙をきっかけに、美波は元父親を探すことを決意する。(そしてだいぶあっさり見つかる)

 

原作では、父親の正体が明らかになったあと、彼が失踪した理由など、ミステリー的要素が全体の軸のひとつになるのだけども、映画版では、美波と門司との交流、美波と元父親である藁谷との交流がメインとして描かれている。美波は、日常の学校生活や家族生活から離れ、ひと夏の冒険を経験をすることで、人間として成長していく。都市にあるとおもわれる普段の朔田家のにぎやかな描写と、海沿いの町にある藁谷の平屋の家ののんびりとした描写が対照的だ。縁側で、竹枕に頭をあずけ、扇風機の風を浴びながら、うとうとしたり、昔らしい夏の暮らしを現代の高校生である美波がしているシーンに不思議と心が洗われる。そして上白石萌歌と夏の相性が抜群なのですよ!

 

田島列島の漫画はたいてい、コマの外での補足や、セリフの言い回しなど漫画でしかできない表現で小ネタを挟むのが、クスッとさせてくるのだけども、これをしっかり映画化として変換しているのが素晴らしい。オフビートな瞬間が途切れることなく打ち込まれていくので、田島列島らしさが損なわれていない。タルンドル朔田については、劇中で何も説明されず、タルンドル呼びされていたのはちょっとおもしろかった。作中にシティボーイズのきたろうが出てくるのだけども、本編を見たあとに、原作を読み直したら、そのトリック(?)に気づいた。

 

屋上で気の合う同級生と仲良くなって、ひょんなことから夏の冒険が始まって、その結果、人間としての成長を経て、ラストシーンは屋上へ戻る。冒頭であげたこと以外で、屋上ですることは、あとひとつかふたつぐらいだ。きらめく青空の下で迎える結末に「高校生してんな〜」と羨ましくなった。