『哀れなるものたち』を観た。
時代は髪の毛のようだ。1日単位で見れば違いに気づかないが月単位で比べると、髪の毛が伸びたり、減ったり、白髪になったり大きな変化を観測できる。現代人として生活していると、その変化に対して手入れをすることを求められ、サボれば自身の印象にも関わる。鏡で自分を良く見てメンテナンスをすることが不可欠だ。
『哀れなるものたち』でベラ・バクスターを演じるエマ・ストーンの長い黒髪に目が留まる。このベラ・バクスターという女性は人造人間で、赤ちゃんの脳みそを大人の体に移植した人物だ。ベラを作ったのはマッドサイエンティストのゴッドウィン・バクスター。ベラはこのゴッドウィンの屋敷の中で生活を始める。
完成したてのベラは、最初、その黒髪ごと大きな体を振り回してよちよち歩くのだが、映画での冒険を通して徐々に成長し、大人になっていく。この成長の軌跡を表す表現がとてつもない。心と身体のアンバランスを違和感なく表現するエマ・ストーンが恐ろしいし、映画が進むに連れて、いつのまに精神が大人になっていたベラの考えにハッとさせられる瞬間が訪れる。タルトを一口で食べるシーンは微笑ましいから大人になっても続けてほしい。
人造人間のベラにとっては初めての世界は新鮮だらけで、経験を積みながら彼女なりの世界を獲得していく。ベラの対比として、考えが凝り固まっている男性たちが彼女の前に現れるのだけども、そいつらに対して淡々とまくし立てるベラが最高だ。舞台が19世紀後半のヨーロッパであるが、その古い価値観は現在でも残っているわけで新世代としてのベラのセリフに頷きまくる。パンチラインの連続に、思わず劇場でゴンフィンガーをあげたくなってしまった。ここは新木場スタジオコーストではない。
監督したのはヨルゴス・ランティモス。そういえば『ロブスター』のときの設定もぶっ飛んでいた。ヨーロッパの町並みが少しスチームパンクなデザインになっているのもかっこいい。綿菓子の内側みたいな空も好きだ。作中の音楽も不協和音なのに浮遊感があって、シャボン玉の中から映画を観ているような感覚に陥る。
変わりゆく日々を生き抜くためには、自分を鑑みながら「進歩」することが重要ということに気づく。停滞していては過去の人間になってしまうし、場合によっては、作中のある人物のように「進歩」させられることもある。よちよち歩きでもいいから自分の足で切り開いていこう。
ヨルゴス・ランティモス過去作品