砂ビルジャックレコード

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再生ボタンを押すとき【aftersun/アフターサン】

『aftersun/アフターサン』を観た。

 


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子供の頃は記録されるのが嫌だった。運動会当日の朝、私の両親が祖父母のために思ってか、出発前の意気込みを撮らされることになった。めんどくさく接する私に対して怒りながら「じいちゃん、ばあちゃんがんばるよ!と言えよ」と叱りながらビデオカメラを回す父親。あのころ、中指を立てることの意味を知っていたら、間違いなく立てていただろう。そんなダウナーな気持ちで小学校へ向かった記憶がある。

 

人生は一過性だから何事も記録に残したくなるわけで、人の親になってはいないが、我が子の成長を記録したい気持ちは非常にわかる。『アフターサン』は、ソフィとカラムの父子のバカンスを記録したビデオを父と同じ年頃になったソフィが見返す物語だ。今の時代では大げさに聞こえるビデオ機器の作動音がソフィの部屋に響く。

 

11歳のソフィと30歳のカラムはトルコでバカンスを過ごす。詳細は語られず淡々とバカンスの様子が描かれる。ソフィに日焼け止めを塗るカラムや、同じホテルに泊まっている青年たちとの交流などは微笑ましい。ゆっくりと時間が流れるリゾートの描写は心地よいし、時折映る異国の雰囲気が非日常感を高めてゆく。

 

そんな夢のようなリゾートで過ごしても、互いにわかり合えなくなる時間も訪れる。リゾートの夜も楽しいはずなのに、『アフターサン』では互いの感情がすれ違う時間になる。親子であってもそれぞれの人生だ。

 

ソフィの目線でいえば、大人への誘いだ。仲良くなる青年たちはティーンエイジャーで、刺激的なコミュニケーションをソフィの眼の前でとる男女もいる。カラムの目の届かないうちにひとつひとつ大人になっていく。

 

一方で、カラムの心の中はなんだか暗い。劇中でところどころ差し込まれる陰鬱な表現は不穏な未来を予測させる。そんな表情をソフィに見せないように昼のうちは努めて楽しく過ごそうとするカラムが痛々しい。そして、その当時のカラムの年代になったソフィがこれらの思い出の映像を見ている。この年になってようやくカラムの気持ちを察するのだ。ラストで流れる『Under pressure』に心を締め付けられる。

 

自分も子供を持っておかしくない年代になった。『アフターサン』に影響されて、両親が自分の幼少期に撮ったビデオを再生してみたくなった。そこに映るのはきっと生意気な子供なんだろうけど、映像のブレや、画面外の音声や息遣いから当時の親の気持ちに接することができるなら、あのときにきちんと記録してくれた両親に感謝をしたい。