お笑いジャンキー野郎の1週間
5月の第3週はひたすらお笑いを浴びるように見ていた(ちなみにその前の週もシンクロニシティの単独ライブを配信で見てどっぷりだった。言葉遊び系の漫才大好き。)
ダウ90000『また点滅に戻るだけ』
そこまで舞台に詳しくない私でも、本多劇場で公演することがひとつのステータスであることぐらいわかっている。あっという間にこんな劇場まで上り詰めるなんてリアルタイムで追っかけられていることを幸せに感じる。
席に座った瞬間に舞台上に広がるセットのクオリティにさっそく胸が高鳴る。開場中にはちらほらと有名人が着席する様子も見かけて、関係者が挨拶に来ていた。『また点滅に戻るだけ』は過去の単独と同様に約2時間ワンシチュエーションで繰り広げられる。とある郊外の寂れたゲームセンターにやってきた地元の若者達の群像劇だ。
ゲームセンターと若者に対する解像度がめちゃくちゃ高い。プリクラの機械とかメダルゲームとか、20代半ばの地元のやつらの話題のリアリティが自分の人生と微かに重なる。学生時代の流行語を未だにしがんでいる描写も美しかったなあ。それでいて今作は縦軸で、とある事件が起きている。その事件の真相を探すというミステリー要素があるのが新しい展開であった。
ずっと笑いっぱなしだったのだけど、終盤の蓮見さんが中島さんを勇気づけるシーンがあって、その例えに自分が感化されてしまった。そうだよな、今までの自分を否定することはないよなと不思議な感覚に陥ってしまった。またチケットを取りにくくなるんだろうな。
空気階段『無修正』
東京芸術劇場はまさに芸術を鑑賞するための施設のような空気感で気圧されていたけども、オープニングコントから空気階段の世界が丸出しで繰り広げられて安心して見ることが出来た。変なことを企んでいる不思議なおじさんとそれに翻弄される人、逆にヤバい人に翻弄されるおじさん。『無修正』というタイトルも納得できるし、そこには無垢性や純粋性を帯びたキャラクターが躍動していた。
社会とは修正に矯正を重ねたもので、そのルールの中でぼくたちは生活しているけども、そこに無修正の人物が入ると途端に社会が歪みだすのがおかしかった。当人はまじめに生きているのに社会のせいではみ出してしまう。それまでのコントすべての要素が登場する最後の長尺コントも、汚い大人の童話みたいだった。個人的には「は」というコントが大好きだった。
THE SECOND
オンバト〜レッドカーペット〜M-1もしっかり履修してきた人間なので、すべての組の漫才が少なくとも6分間は見れることや、計1時間以上はその生き様を画面越しにぶつけられるという状況だけでありがとうと言いたい。
とにかくひとつひとつのマッチメイクが奇跡的であった。金属バットがこの大会の封を切り、マシンガンズが”趣旨に”そった漫才で暴れまくる。スピードワゴンが貫禄を見せれば、三四郎は一般審査という利を生かした漫才で会場を沸かす。ギャロップが関西の香りを漂わせば、テンダラーも”関西ダービー”の名に恥じぬようなハイテンポなネタを繰り出す。テンダラーを見ると(東京だとテンダラーを見れるのは暮れのTHE MANZAIと正月番組くらいか)冬の香りがする。それとゲラゲラ笑っている最高顧問のビートたけし。超新塾はセンターマイクにたどり着くまでにはもう空気を掌握していたし、これら7本でぐったりしている観客を正統派で笑い倒す囲碁将棋に痺れていた。
トーナメントの左の山と右の山で明らかな毛色が違っていたのも良かったなあ。マシンガンズは正統派とあまり当たらないのが結果的に良かったのかもしれない。10年前の私だったら紙を持ってきているだけでカンペだと思っていたのかもしれない(昔の小さいノートを持っている系のネタも好きではなかった)けど、不思議と許容している自分がいた。その許容こそがTHE SECONDの本質で、アスリート系な若手賞レースと異なって幸福を感じる秘訣なのだろう。
また、この8組でトーナメントをやっていたとしても同じ結果にならないほど微妙な差が勝敗を分けたトーナメントだったと思う。大会としての結果は出たけどみんな優勝でいいんだと思う。それでいいよね?それと、陰のMVPはセカおじ。この人の言語化能力のすごさにようやく気づいてよかった。