砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

ふきのとうともっこり

少し前に、自分が習っていた国語教科書を検索できるサービスがバズっていた。もれなく私も検索してみた。「ごんぎつね」とか「スーホの白い馬」とか印象の強いものは覚えていたけども、記憶の引き出しに閉まったままの作品がいくつか出てきて懐かしい気持ちになった。

 

www.mitsumura-tosho.co.jp

 

懐かしいと思った作品のうちのひとつに「ふきのとう」という詩があった。小学2年生の国語の教科書に載っていて、わたしは「ふきのとう」というものが存在することを、この詩で知った。その「ふきのとう」の詩を読みたくなって調べてみたら、後半がこんな内容だった。

 

ふかれて、

ゆれて、

とけて、

ふんばって、

――――もっこり。

ふきのとうが、かおを 出しました。

「こんにちは。」

もう、 すっかり はるです。 

(ふきのとう/工藤直子

 

なんだかざわつく。だんだんと身についたボキャブラリーが足枷になっていく。ふきのとうはたしかに「もっこり」という表現で間違いないのだが、現代のもっこりの主用法がちらついて仕方がない。

 

主用法を既に知っている小学生時代の私だったら、記憶が今でも残っているはずだ。少なくとも小2の頃には、邪な想像はしていない。では、私はどのように「もっこり」に対するイメージが変わってきたのだろう。私の「もっこり」に関する記憶をいくつか紐解いてみた。

 

もっこり」に対する記憶で強く残っているのは小学校高学年のときに行った地元の縁日だ。もう親に連れられることなく、友達同士で放課後に縁日に行っていた。その縁日の中に射的の出店があった。ぬいぐるみや人形が的として並んでいる中、ひとつだけ異質なものが立っていた。それは黒い文字で「もっこりビデオ」と書かれた箱だった。

 

今、思えば「もっこりビデオ」が何を指すのかはわかるけども、高学年になった私はまだ「もっこり」「ビデオ」の組み合わせはクエスチョンマークだった。自分より体の大きな中高生男子がその的を狙っていたけども、弾が当たっても「もっこりビデオ」はビクともしなかった。

 

もっこり」が今日の主用法になったのは、まりもっこりによる影響がとても大きいだろう。調べてみたら2005年デビューのキャラクターだった。この年を期に「もっこり」という言葉のイメージが確立したと思える。よくよく考えてみれば下半身の一部分が隆起しているキャラクターをお土産としてあげたり、携帯のストラップにつけていた人が多数いたって異常な状況であった。2023年もまりもっこりストラップをつけている人がいたら、その理由を聞いてみたい。

 

まりもっこりの台頭から「もっこり」の用法の変化は訪れていない。まりもっこりブームも去り、キュートさもなくなり、ただの「もっこり」が小さな山のように残ってしまった。「ふきのとう」のような「もっこり」を表現するには「こんもり」「もこっと」など似たような言葉を用いなくてはいけなくなったのも寂しい。「もっこり」が再びピュアな意味を獲得するその日まで、土の中で待っていたい。