砂ビルジャックレコード

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6人だけのマジックアワー(『くれなずめ』観たマン)

『くれなずめ』を観た。

 


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聞いたことはあるけど、イマイチ意味のわかっていない動詞ランキングで上位争い筆頭なのは「くれなずむ」という言葉だろう。国民的な卒業ソングとなった海援隊の『贈る言葉』はこの「くれなずむ」という動詞が冒頭の歌詞になる。「くれなずむ」の意味を調べてみると、「日が暮れそうで、なかなか暮れないでいる」 とのこと。武田鉄矢はマジックアワーのことを歌っていたんだ、卒業式から幾年も経ってから気づく。ちなみに漢字だと「暮れ泥む」と書く。

 

「くれなずむ」の意味を調べたくなったのは、「くれなずめ」という作品を観たからだ。元々は舞台劇だった作品が映画化された。高校の仲良し同級生が、結婚式で集結し、その披露宴で彼らは余興をするのだが、披露宴終わりから二次会までの空き時間での会話が中心の物語だ。彼らは、同じ部活でもないし、学年も不揃いだし、なぜ仲良しになったのか微妙な違和感を覚えるのだが、回想シーンで、それが語られることになる。この仲良しグループを演じるのは、成田凌高良健吾、浜野謙太、若葉竜也など。

 

仲良しグループが随所に繰り広げる男子ノリのワチャワチャ感が愛おしくもあり、恥ずかしかったりする。それを面白いと思っているのは地球上探してもキミら6人だけだよというようなお決まりや、決して1軍の生徒には逆らえない頼りなさが変にリアルだ。決して回想シーンだけでなく、この披露宴の余興でもそのイタさが出てくるのだから、勝手に共感性羞恥が発動する。どこまでもブレーキのない青春だ。彼らを取りまく人物も個性的だ。前田敦子がパブリックイメージ的にぴったりなミキエを演じるのだが、学生生活にこんな同級生いたなあと、ノスタルジーが加速する。

 

披露宴から二次会までの一瞬のモラトリアムが中心なのだが、この6人組のうち、成田凌演じる吉尾だけが何かがおかしいのである。その違和感自体は物語の序盤から描かれているのだが、彼らひとりひとりとの繋がりがわかってくるたびに、その違和感がじわじわと効いてくる。違和感がひとつのクライマックスに達したとき、いっぱしの青春の忘れ物を取りに行くみたいな映画を超えていく展開が待っていた。一筋縄に行かなくて十分だ。思ってたのと違う展開があるから人生なのだ。

 

そういえば、仲の良かった級友は元気でやっているのか、もう結婚をしたのだろうか、地元にまだいるのだろうか、それとも地方か?もしかして海外?と、その先の人生に興味を持って連絡を取りたくなった。大人として進むのもいいけど、学生時代の記憶のブックマークに戻ってわいわいやるのも悪くない。『くれなずめ』の終盤では、暮れなずんだ空が画面一体に映っていた。