砂ビルジャックレコード

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埼京線

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埼京線の渋谷駅ホームが山手線の隣に移動したらしい。嬉しい反面、いびつで不毛な徒歩の時間が消えると考えると寂しくもある。これで、なんとなく心の遠さを首都圏鉄道用語で例える表現は「京葉線の東京駅」ぐらいになってしまった。積極的に使っていこう。

自分は埼京線と縁のない生活圏の人間だったので、埼京線といえばすぐにラーメンズの「日本語学校」のネタを思い出す。

 

「これは、山手線ですか?」

「そうです。埼京線です」

 

山手線を探している片方に対して、もう一方が肯定しつつも、ミスリードをする会話のナンセンスさが面白かったのだけど、これってホーム移転前の渋谷駅の話なんじゃないか?と、背景が頭の中でたちのぼる。質問者をA、回答者をBとしよう。東京の生活に慣れない外国人のAは渋谷駅から山手線で別の駅へ向かうはずが、新南口から入ってしまったため、埼京線ホームに迷い込んでしまったのだ。渋谷はターミナル駅だから間違えやすいというネットのアドバイスを真摯に守る真面目なAは、確認のために道行く人に聞くが、ここは東京。見方を変えれば世界で一番人に冷たい街。早足で行き交う乗客になかなか声がかけられない。そしてようやく声をかけられたのが、東京の人々とは違うテンポで駅を埼京線ホームにいたBというわけだ。

 

「これは、山手線ですか?」

 

突然、日本語で話しかけられたB。ほとんど馴染みのない東京で、ほとんど喋れない日本語での質問に戸惑う。ただ、電車を指差しながら困った顔の外国人のことは放っておけない。きっと彼も、私と同じように、この冷たい街に怯えながら生活しているのだ。異国における異国人同士、助け合うべきなのだ。Bは、とびっきりの笑顔で、Aが指す電車の名前を言った。

 

「そうです。埼京線です」

 

慣れないおじぎをするA、呼応するように深々とおじぎを返すB、通り過ぎる東京都民たち。発車ベルの音に急いで、埼京線に乗るA。Aの背中を見つめながら、ふと2ヶ月前に成田空港からの乗り換えに苦労したことを思い出すB。出発した埼京線が起こした風を浴びながら、Bはどこかすがすがしい気持ちで、新南口の改札へ向かった。

 

自分はこの会話の表面的な部分でしか笑っていなかったけど、実は渋谷駅での一コマだったんじゃないかと考えると、ラーメンズの恐ろしさを改めて思い知る。もう「日本語学校」の中に、埼京線の遠いホームの思い出は閉じ込めて、新しい埼京線ホームを祝福したい。Aが二度と埼京線に乗り間違えないことを祈っている。