砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

善は存在するのか【悪は存在しない】

『悪は存在しない』を観た。


www.youtube.com


グランピングに行ったことがない。自然が苦手だけど自然を浴びたい私にとっては夢の施設なはずなのに。イメージ映像などでよく見かける集団でわいわい旅行をしている感じが無理なのかもしれない。ひとりキャンプが流行っているのだからそのうちひとりグランピングも流行ってくれないかな。ご飯はバーベキューとかじゃなくていいから。行きのコンビニであらかじめ買っていくから。

『悪は存在しない』は、とある長野の自然豊かな小さな町にグランピング施設の建設計画があがる事から話が大きく動く。公民館での説明会のシーンが印象的だ。東京から説明をしにやってきた芸能事務所の社員2名と、建設計画を聞く町の住民たち。コロナの影響で経営ダメージを大きく受けた芸能事務所側は会社存続をかけたプロジェクトだから失敗は許されない。一方で、町の住民たちは今ある住環境を脅かされるリスクと観光的メリットも考えている。

報道でよく見る説明会だと、どうしても「住民=弱者」と描きがちで東京から金儲けにやってきた会社は悪と感じてしまうが、果たしてどうなのだろうか。その偏見を無意識に持っていた私は、芸能事務所側の社員に対して、説明して納得させる側なのに赤いダウンは派手すぎるだろと心のなかでいちゃもんをつけていた。けど彼らの心の内を知るたびになにかに巻き込まれてしまった側のひとりだと気づきはじめる。

説明会の中で町側の人が言っていた話が心に残る。水と同じように上流で起きたことは必ず下流の方にも影響を与えはじめるといった内容だった。社長の「善は急げ」という言葉でお尻を叩かれる社員たちのやるせない気持ちに社会で上流の役割でない私は勝手に共感して胸が締め付けられる。

町側の主要人物である一人娘の父親・巧の掴みどころのない人柄にも不思議と吸い込まれていく。冷静な性格で町のために働く彼と、社員はそのグランピング建設計画の説明会を皮切りに関係が近くなる。都会と田舎の人々がともに幸せな展開を迎えそうな雰囲気のときに、とある事件が発生する。

私が自然が苦手な理由のひとつとして、命が脆いことを再認識してしまう点がある。この作品でも、薪を割るシーンや銃声が聞こえるシーンなど気をそらすとこの世界から転げ落ちそうになる場面が何度も出てくる。美しい景観でその感覚はより研ぎ澄まされる。これらは生活のための行為であるし、迷ってしまいそうな森も命をつなげるために大きくなったんだ。生きるということを考えたときに、そのための行為自体には善も悪も存在しないのだ。

 

takano.hateblo.jp