砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

レトルトに生卵

もう一週間経つというのに志村けんロスが癒えない。ようやくこの間の追悼2時間SPを見れたというのもあるが、「面白い」と判断するセンスの一部分となった人があんなかたちでいなくなってしまったのがショックだった。

 

その2時間SPでは、研ナオコとの「なまたまご」「赤まむし」をひたすら繰り返すお笑い拷問みたいなコントをやっていて子供の頃に窒息寸前までゲラゲラ笑っていたことを思い出す。その「なまたまご」という独特のイントネーションと、生卵を差し出すときの変顔がおかしかったんだけど、大人になって見ると、これは男役の志村に精力をつけさせたい一夜を過ごしたい肉食女子のコントであることに気づく。なるほど、だから生卵や赤まむしドリンクを薦めていたんだ。そんな背景を知らない子供をゲラゲラ笑かす志村けん研ナオコの恐ろしさを思い知る。

 

 

なかなか外に出れないご時世だから、普段より自炊をするようになった。と、いっても大概がレンジで温めるか、鍋で茹でる、たまにフライパンで炒めるぐらいのものだ。そんな最低限の自炊しかしないずぼらな私に優しいのはレトルト食品だ。紙箱から出して銀袋を鍋に投入するだけ。文明の勝利。

 

今日の私はカレーを食べたくて、さっそくレトルトの銀袋を沸騰したお湯に投入して数分待つ。ただ銀袋は私に時に厳しい。ぐつぐつのお湯から銀袋を箸で取り出し、袋の端っこを持つ。少し凹になっている切り口から銀袋を開けようとするがなかなか開かない。袋の中心部を持つと熱いからなかなか力が入らない。なんのための切り口なんだ。

 

手の力だけだとだめだと観念し、歯で銀袋の端を噛んで手で離そうとするが、まったく開こうとしない。私が何をしたというのだ。そんなに最悪な第一印象を与えてしまったのか。仕方無しにキッチンばさみを取り出して、切り口により深い切れ目を入れる。もう一度問うなんのための切り口なんだ。

 

そんなに熱湯につかるのが嫌だったのだろうか。相変わらず銀袋は私に冷たい。中身をお皿に盛り付ける。一回目で大方は下に落ちるのだけどカレーなので、ぎゅっと絞り出したい。その時に銀袋はその熱伝導性を遺憾なく悪用してくるのである。私の指の平に熱さを押し付けてくる。思うように残りのルーを押し出せない。

 

袋の端から残り少ない歯磨き粉のようにぐるぐると巻きながらルーを絞り出そうとするのだけど未だに銀袋は熱くて泣きそうになる。「熱っ」と両手のフォームが崩れた際に、銀袋はルーを落としてくる。小指にべったりとつく茶色い憎悪。私は知りたくもないタイミングでこのカレーの味を知ってしまうのだ。ただずぼらなだけというのに、この仕打ちはひどい。ずぼらな人間がいなければお前など売れないというのに!沸き起こった怒りを抑えるべくこのカレーの上に生卵を落とし、まろやかにして平らげた。