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初恋とはなんぞや(『初恋』観たマン)

『初恋』を観た。

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「初恋」という言葉ほど外面が良すぎるものもないだろう。言葉から漂うロマンチックやスイートさと裏腹に、ほとんどの初恋の後味は苦くジャリジャリとして、弱い呪いのように大人になった今日でも、わずかに自分の中に在留し続けている。初恋が唯一の恋愛である人間は、きっと前世の徳の積み方がえげつないんだと思う。

 

ちなみに私が覚えている限りでの初恋は幼稚園の年中の時で、相手は年少の女の子だった。恋愛スタイルは昔から変わらず、遠くから思い続けているスタンスだったけど、ある時、その女の子から緑色の鼻水がたらりと流れていることに気づいた。自分の好きな女の子の鼻の穴から現れた透明な鼻水でない謎の液体に、私は恐怖をおぼえ、その時から彼女に対する好意は去ってしまった。初恋の終わりの等価交換として、鼻水に緑色があることを知った幼児時の私であった。

 

19世紀の終わりに映画というものが発明され、商業となり今日まで、色々なタイトルの映画が公開された。そう考えると、『初恋』というタイトルは非常に直球で、言い方を変えれば個性的でなく、埋もれやすいタイトルという印象を受けたし、あの子の緑色の鼻水を思い出した。なぜ三池監督は『初恋』と名付けたのだろう。

 

名前の通り、ボーイミーツガールな物語なのだが、その表面に反社会的な暴力という油がたっぷりと浮かんでいる。『初恋』の主要人物はプロボクサーの青年、葛城レオと、ヤク中の女性・モニカ。不可解なKO負けを喫したレオは、医師に脳腫瘍の宣告を受ける。人生の終わりに絶望しながら街を歩くレオの前に現れたのは、何者かから逃げるモニカだった。すれ違いのモニカの「助けて…」という言葉を聞いたレオは、その追手をカウンターのストレートでワンパンKO。そして奇跡的な出会いをしたレオとモニカの濃厚な一夜の逃避行が始まる。

 

レオやモニカもそうだが、彼らを執拗に追いかける個々のキャラクターも強烈だ。ヤクザの親分に、裏切りを企む構成員、闇とズブズブな刑事に、イカれちまったヤクザの女、さらには中国マフィアと、こいつらだけが戦うアングラスマッシュブラザーズを夢見たくなるようなラインナップだ。このアングラプレイヤーが血みどろになって戦いを繰り広げるのだから、そりゃもう楽しいわけです。個人的に、一計を案じるヤクザの加瀬(染谷将太)と、モニカを商品として扱う見張り役のジュリ(ベッキー)の憑依っぷりに痺れまくった。死に近い位置の人間がギラギラと放つ活力が、この『初恋』には溢れまくっている。

 

こんな血だらだら薬ずぶずぶ映画なのに『初恋』というタイトルなのが恐ろしくなる。この狂想曲の中での「初恋」とは一体、何を指すのか、そしてその初恋は実ったのかどうか。物語の結末を観終えて、私の解釈だが、このタイトルの「初恋」の正体を見つけた。そっか、そういうことだったのか。そういう初恋もあるよねと、まだ涼しかった晴天の月夜に向かってタバコを吸いたくなった。一度も吸ったこと無いんだけどね。

 

初恋とはなんぞや

初恋とはなんぞや

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