『ジュピターズムーン』を観た。
木星には69個もの月があるという。月はただひとつだと思っている我々地球人としてはなかなか想像しにくい事実でもある。ガリレオが4つ見つけたことは聞いたことあるけどその10倍以上も存在しているし、木星の周りをぐるぐる周っていることを考えているとめまいしそうになる。そのガリレオの知識から、イオとガニメデは地球以外の惑星にある月だって知っている。あれ、でも言葉の響きかもしれないが、火星の衛生とごっちゃになる。ほら、もう混乱の始まりだ。衛生って誤字してる。ぼくのまわりをクエスチョンマークが衛星のようにめぐっている。
そんなわけで、『ジュピターズ・ムーン』を観た。『ジュピターズ・ムーン』(=木星の月・衛星)に関する説明文が冒頭から流れる。これが、本作を観た後に、意味を為すものとわかる。舞台はハンガリーだ。"空を飛ぶ"能力を偶然得た難民の若い男と、その男と出会ってしまった医師。医師は、借金を抱えていてこの難民の男の能力を上手く使って金稼ぎをする。まるで、落語の「死神」のような展開だが幻想的だ。やはり見どころは、難民の男が宙を浮くシーンであろう。テルミン奏者のように、腕をくねらせてバランスを保とうとする表現は美しい。そして、この二人を追いかける刑事。この3人の男のドラマが本作の中心だ。
ガリレオが見つけた4つの中にエウロパ(EUROPE)という名のつく衛星がある。読み方を変えれば、そう。ヨーロッパである。これは、限りなく現在の、現実のヨーロッパが抱える問題をモチーフにした話で、その限りなく透明で、しかし、劇薬のようなファンタジーフィクションを重ねることで、現実の世界に潜むダークな雰囲気を浮き立たせることに成功している。難民を取り締まるため奔走する刑事と逃げる難民と医師のバトルにひりひりさせられる。
近影でのショットが多く、追う者、追われる者の息づかいが自分の鼓動とシンクロしそうになる。この距離感によって我々は、空を飛ぶ難民のことさえも、他人事として観ることができなくなってくる。 想像しにくい事実が海の向こうでは起きていることを知っているから。
幻想的で、でも、現実的な物語のラストはこのふたつの世界が甘美に混じり合ったシークエンスとなっている。この3人がたどり着いた結末を知ってもらいたい。