砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

以前、以後に分かれる

平昌オリンピックが始まった。採点競技で、ひとりずつ、ひと組ずつの得点が決まって一喜一憂している様を見ていると、どうしても私の頭の中にM-1が出てくるのである。スノーボードだったか『採点に時間がかかってますねえ』という解説もなんだかソワソワする。左の審査員から順番に点数出ないかなあと思いつつも、日本勢の活躍に喜んでいるわけです。

 

M-1の審査員が登場するとき松本人志を紹介するときの「漫才の歴史は彼以前、彼以後に分かれる」という表現が好きだ。この「〇〇の歴史は☓☓以前、☓☓以後に分かれる」というフォーマットをどこかで使ってみたいと思っている。あ、ひとつだけ思いついた。

 

「筋肉芸人の歴史は彼以前、彼以後に分かれる」そう、なかやまきんに君だ。きんに君世代(?)直撃の私だから偏見はあるかもしれないが、筋肉芸人の先駆けである、ぶるうたすを超えていると思うし、きんに君の後に続いた筋肉芸人も、芸があって、もうひとつキャラを乗せるためにマッチョになった(アフターマッチョと呼ぼう)と、少しベクトルが違う。ただ、そのベクトルのきっかけとなったのは、きんに君のシンプルに筋肉を活かすスタイルの成功を知っていたからであろう。純粋な筋肉と芸の両立を達成しているのはなかやまきんに君だけなのだ。

 

そして、風は思わぬ方向へ吹き始めた。漫才の革命児・松本人志も"マッチョマン"化しているのである。つまり、アフターマッチョだ。きんに君の作り上げた時代の住人となったのだ。筋肉が天才に勝ったのだ。これはきんに君最大の奇跡といえるのではないか。筋トレは裏切らない。