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天気予報士がテレビで言ってた

フジファブリックの『若者のすべて』が高校の音楽の教科書に掲載されるというニュースを見た。このニュースがまだまだ真夏の8月31日に出たというのも素敵だった。自分より若い世代にもこの曲は歌い継がれていくべきだし、なにしろ若者が聞くべき曲だから大賛成だ。

 

真夏のピークが去った

天気予報士がテレビで言ってた

 

という最高の歌い出しがあるけど、Twitterで「気象予報士は職業はいるけど、天気予報士はいない」というつぶやきを目撃した。たしかにそのとおりだ。気象予報士が天気予報を伝えているのであって、天達は天気予報士ではない。(名字に天がつくのに)ただ、真夏のピークを伝えてほしいのは天気予報士だ。

 

「天気」と「気象」の言葉としての明確な違いは、その期間であり、「天気」は「ある場所、ある時刻の気象状態」という意味で、範囲が狭まっていて「気象」に比べ、やや主観的ともいえる。さらに「天気」には「天気になるだろう」というような「晴天」の意味も加わっていて、我々は、当たり前のようにこの意味で使っている。

 

こう考えてみると、「天気」は「我々が住む場所から見上げた空の状態」で、「気象」は「宇宙から観測した空の状態」ということも言えるかもしれない。天気衛星ではなくて、気象衛星なのはそういうことか。

 

テレビの天気予報で秋の訪れを知って、外を見上げる。そこには、この夏で見上げた幾つもの空が蘇ってくる。ひと夏(=ある一定期間の晴天的な幸福)の終わりを憂う歌詞の中の主体にとっては、この予報を受け入れたくなるのは「気象予報士」でなく「天気予報士」に違いない。

 

ニュースが出た翌日の9月1日に、昨日と比べてガクッと温度が下がり、天気が悪くなったのには思わず「志村w」とニヤついてしまった。そういえば今年は花火を見なかったなあ。

 


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