砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(Switch64とか大喜利とか)

Switchのオンラインでニンテンドー64のソフトができるようになった。小さいときに遊んだ64のタイトルがカセットをフーフーせずに遊べる素晴らしさよ。スーパーマリオ64マリオカート64マリオテニス64、看板タイトルが収録されているけれども、一番嬉しかったのは「ゼルダの伝説 時のオカリナ」だ。小学校低学年のときに親にゼルダを買ってもらったけど、とにかく怖すぎた。グロテスクな敵キャラ、近くにいると不審な音を出す子供と同じ大きさのクモ、夜になると平原に出現するゾンビ。そもそもゲームがそこまでうまくない自負があって、よくミスをしてしまう。主人公の子供リンクがダメージを受ける時の叫びに、子供ワタシは心が痛くなっていた。何もかもがトラウマで、ドドンゴの洞窟(一般のゲームでいう2面)もクリアできなかった。

 

あれから約20年、様々な経験を得た私はこの「時のオカリナ」に再挑戦する機会を得たのだ。クモの移動音はまだ気味が悪いけど、落ち着いて遠距離攻撃で退治すればなんとかなる。爆弾花も、何秒後に爆発するか計算していれば落ち着いて使うことができる。経験は力だ。ダンジョンの恐怖がすべて払拭されたわけではないが、子供リンクを傷つけないよう丁寧にひとつひとつ部屋を攻略し、気づけば過去の自分が行けなかったところまで進み、とうとうドドンゴの洞窟のボス戦。溶岩に爆弾に炎にドラゴン。こんな地獄みたいな空間で悪戦苦闘しながら、ついに、ついにドドンゴの洞窟攻略を達成した。子供ワタシよ、決してくじけるでない。大人ワタシがしっかりクリアしたぞ。画面の中のリンクは20年経ってもまだ子供だけど。

 

ヒトと会話する機会が極端に減ったため、なんとなく自分の会話のセンスやバランスが合っているのかわからなくなった。他人と会話することで、自分の話す内容を微調整していたことに気づく。とにかく何か発信しなければと、その行動索を考慮した結果に、アマチュア大喜利大会に出ることにした。自分だけが持っている考えがちゃんと相手にも伝わるのだろうか。一種の実験だ。大喜利はすごい昔に2回ぐらい人前でやったことがあって、そのときに1回ウケた感覚をもう一度味わいたいという野心もあった。

 

参加した結果からいえば、大喜利すごいすべった。ものすごくすべった。多少笑い声が聞こえるけども、心の底からは笑っていない独特の乾いた声だとすぐに気づいた。いい答えを思いついたのはいいけれど、ホワイトボードに文字として出力した瞬間に、その良さが途端に消える気がするのだ。んー、でもとりあえず出してみるかー、と答えを発表すると聞こえる乾き声。だいぶ落ち込んだけど、その落ち込みが悔しさから出ていると気づいたのは良かったのかもしれない。せめて人並みぐらいは大喜利できるようになりたい。落ち込んだ気分を挽回しようと食べたカオマンガイが美味しかった。

 

毎週火曜日は地方局の芸人ラジオをはしごしている。今週の芸人ラジオ界の一大トピックといえば、チャンサカとやばたんの婚約発表だろう。比較的初期の方からチョコナナを聞いているワタシとしては、ネットで熱愛報道が出た瞬間からニヤニヤが止まらなかった。イチャイチャ"コント"と思って聞いていた放送が、イチャイチャだったという超展開。やっぱラジオは細く長く聞いていると思いがけない瞬間に立ち会えるよなあと思う。肝心の放送も、新婚夫婦が仲の良い友だちを呼んでホームパーティーをやっているのを盗み聴くような背徳感と恥ずかしさがあった。

 

チョコナナのあとに聞いている #むかいの喋り方も最高だった。向井さんなら絶対チャンサカの結婚に触れるよなあと期待しながら楽しみにしていたけど、オープニングトークから期待通りの立ち回りっぷりに笑う。漫画の感想トークとかでもそうだけど、自分と、その対象の共通点を導き出して、その共通点を軸にトークするスタイルが本当に大好きだ。公園のベンチに座っていたら、ハロウィンのコスプレをしている子どもたちがいて、その子どもたちのやりとりに泣いてしまう向井さんもイかれてると思うんだ。