『嘘を愛する女』を観た。
私の見た目は病弱に見える。見た目的な病弱感で言えば高橋一生と等しい。きっと属性的に言えば同じグループであるのに、それなのにモテっぷりが雲泥の差だ。雲泥どころでない。私はマントルだ。メリメリ埋まっとる。雲マントルの差。
理由などわかっていたら私はマントルからとっくに脱出しているはずだ。ただ、そのきっかけを掴むには雲を観察するしかない。『嘘を愛する女』には一生だけじゃなくて、長澤まさみも出るというのだから行かない理由がない。ということで観に行ったのです。
ふとしたきっかけで偶然であった男女。結婚寸前まで行ったある日、その彼女にある事実が告げられる。愛する彼氏がくも膜下出血で倒れたことを、そして、その彼氏が何もかも嘘をついていたことを。彼氏が何者なのか真実を見つけるというところでストーリーが動き出す。この主役のカップルこそが一生とまさみなのである。回想シーンでのいちゃいちゃしている感じとか理想オブ理想。こんな被写体として生まれたかったぜマントル。
長澤まさみ演じる由加利が、真実へたどり着くロードムービーのような展開である。最初はミステリアスな雰囲気をまとっているが、徐々にヒューマンな話へと進んでいく。この由加利はゴッリゴリのキャリアウーマンで、真実を求め、とにかく猛進する姿は勇ましい。 嘘のままで消化すれば、彼と過ごした時間さえも嘘になってしまう、ないものになってしまうという危機感なのだろうか。
ただ、徐々に明らかになる真実は、なんとも言えない。この真実を知ってよかったのだろうか。嘘であることの正当性というものもこの世の中にはあるのかもしれない。
結局、この映画を観たとて、高橋一生と私の違いなどわかるはずもなく、私は一人寂しくマントルへ帰っていった。ああいう丸メガネとかたまに付けてるんだけどなあ。誰か嘘でもいいから地表から愛してくれよ。