砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(青春ゾンビゾンビとかラジオとか)

更新がしばらく止まっていたヒコさんの「青春ゾンビ」の更新率が、ここ最近高まっているのがほんとうに嬉しい。コンテンツ大好きっ子ちゃんの私にとっては本当に体に染み入るぐらい大好きなブログなのだ。大阪に転勤?されたことは把握していたのだが、お仕事が忙しいのかなあと、もう更新されないかもしれないと、青春ゾンビを欲する青春ゾンビゾンビ状態になっていたのだが、ここで大復活。私の精神も肉付きが良くなった気がする。ヒコさんと俺スナさんのSNSをチェックしていれば間違いないエンタメ生活を送ることができると思うんだ。世界の半分は我が手に。

 

さっそくヒコさんが記事にしていた、かまいたちの知らんけど特別編を見る。ちょっと泣く。

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かまいたち濱家さんが幼少期からずっと通っていた、大阪・上新庄のスーパーイズミヤが47年間の営業に幕を閉じる。閉店間際のイズミヤを訪れ、感謝を伝えるというロケ。いきなりイズミヤからロケが始まるのではなく、イズミヤへの道のりから始めるのがいい。一緒に上新庄イズミヤ育ちだったビタミンSのお兄ちゃんも同行して、それぞれイズミヤの思い出を語り始める。

 

ドラマチックな話じゃないんだけど、幼少期、学生期、芸人期のイズミヤエピソードが、2人からいくつも溢れ出て、イズミヤがどれだけ彼らの人生に関わっていたが、手に取るようにわかる。そんなイズミヤがなくなってしまうのだ。

 

「子供のときから通っていたスーパーやコンビニがなくなってしまう」というイベントはもしかしたら現代日本人における通過儀礼のひとつなのかもしれない。行ったこともないイズミヤ上新庄店の閉店に悲しくなるのは、自分ごととして捉えやすいのだ。考えてみれば幼少期の自分が行ける場所なんて家か学校か公園か、もしくはスーパーだった。スーパーは自分の行動範囲のなかで最も社会に近い場所だったのだ。お兄ちゃんも言ってたけど、地元のスーパーで初めてを捧げたもの、いっぱいあったなあ。

 

「知らんけど」を見終わって、自分の地元のスーパーを当時の店名で検索する。出るわ出るわ、自分と同じ経験をした人たち。そうそう!4Fにそういう名前の喫茶店あったなあ。結局、親に連れてってもらったことなかったなあ。と、引き出しの奥の記憶が蘇る。4Fの階段近くにあったハローキティのポップコーンとか、おもちゃコーナーのテレビゲームの試遊機とか、空き缶2本で1円もらえるリサイクルボックスとか。いろんな人の"ソウルスーパー"の記憶を聞いてみたい。

 

スーパーつながりで、ヒコさんの別エントリーで、さらりとツルヤについて触れていたのも見逃せない。みなさん知っていますか?長野の最強スーパー、ツルヤ。一度、長野の友人に会いに行ったときにツルヤを教えてもらったのだけど、なんといってもジャムの種類の豊富さ!その他の製品も魅力的なのですが、ジャムのコーナーがグラーデションになっているぐらい並んでいるのですよ。初めてツルヤに行ったときは勢い余ってツルヤの顔であるりんごバタージャムと、柿ジャムを購入して、楽しんだ。本当は7色展開したかったんだけど。しかし、一人暮らしでは瓶詰めのジャムってなかなか減らないもので。ジャムのために食パンとヨーグルトの消費量が増えるという事態に陥った。自分は、瓶詰めの食べ物を活かす方法が乏しい。

 

瓶詰めといえば私の冷蔵庫には桃屋のメンマ「やわらぎ」がまだ鎮座していて、ようやく7割ぐらい消化したあたりだ。メンマをただ食いするのが目的だったけど、最近は袋詰めされたサラダの上にラー油とともにメンマをかけて、もりもり食べている。やわらぎの美味しい食べ方あったら教えて下さい。

 

9月のスペシャルウィークは、聞きたい番組目白押しで、1週間でひたすら聞いていた。基本的にANNが多いのだが、月〜日で聞いたのを記録すると、菅田将暉ANN、#むかいの喋り方、星野源ANN、Creepy NutsANN0、佐久間宣行ANN0、ナイナイANN、マヂラブANN0、ハライチのターン、霜降りANN、オードリーANN、タダバカ、みちょパラ、チェ・ジバラ、生きづらい私たち。

 

どれも良かったのだけど、吉住さんとサスペンダーズ古川さんの「生きづらい私たち」の、矢継ぎ早の生きづらさエピソードに共感してしまう。自分の行動をどこかで俯瞰している自分だったり、Lチキのくだりなど、行動範囲を詮索されてるんじゃないかと自意識過剰になったりする瞬間は身に覚えがある。かといってLチキバンズだけ買うやつも、バックヤードであだ名つけられてそうで、それはそれで辛い。生きづらいこと、まだまだあるなあ。

 


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