砂ビルジャックレコード

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現実と虚構のシンクロニシティ(『天気の子』観たマン)

『天気の子』を観た。

 


映画『天気の子』予報①

予告ではなく予報なのが、もう素晴らしい。

 

映画や音楽、漫画もそうだけどコンテンツにアンテナを張っているとシンクロニシティに出会うことがある。別々の映画で、同じ挿入曲が使われていたり、たまたま読んでいた漫画と、たまたま観ていた海外の映画の敵キャラの能力が同じだったり。最近でいえば『ラ・ラ・ランド』の終盤の展開とオザケンの『流動体について』の歌詞だ。あり得た別の世界線のふたりを想う描写を短期間で摂取した私は、その1週間、話のわかる友人に熱弁していた。

 

ちょうど『天気の子』が公開された時期は、梅雨真っ只中で、しかも、気温もなかなか上がらない。テレビも日照時間の短さに心配するぐらいの雨だらけの日が続いた。偶然にも『天気の子』の舞台は、雨の降り止まない東京だった。『君の名は。』も公開日に観た私は、この現実とアニメーションの世界が地続きになっているうちに見に行くことを決意した。

 

takano.hateblo.jp

 

 『君の名は。』と同じようなボーイ・ミーツ・ガールのお話。離島から家出して東京に出てきた高校生・帆高は、ファーストフード店でバイトをしていた陽菜と出会う。その後、偶然、繁華街で再会した二人は距離を縮める。そんな中、陽菜が帆高に、自分の能力に関する、ある秘密を打ち明けて、物語が一気に動き出す。

 

「雨が降り止まぬ東京」という設定だけで私の心は撃ち抜かれているし、ある場面でムーのTシャツを部屋着として生活する帆高で蜂の巣状態だ。どんよりとした巨象のような街で生きていると、なんだかこういうところに安心感や期待感を覚えてしまう。

 

ディストピアな都市の中で、それと相反する力(地方の高校生、オカルト的伝説といった要素)が奇跡を起こしている展開を、限りなく写実的なアニメーションで表現するものだから、どこかで僕はこれが「なくはない世界」と思っている。加えてこの東京の環境だ。きっと誰もがもやもやしている東京を駆け抜ける帆高と、不思議な力を有する陽菜が僕らの希望になる。あの厚雲に穴を開けてくれと願いながら、二人の活躍を観ていた。

 

観終わったあと映画館を出たら、まだ雨が降っていたけど、そんなことはどうでも良くなった。雨が少し愛しく思えた。週間天気予報の傘マークが面白くなってきた。だけど、そのうち梅雨前線もいなくなって、過ごしにくい真夏が来る。梅雨が明けたら、大きい声で叫ぶんだ。ひなさああああああああああああああん!!!!!って。