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愛の悪用(『GOOD TIME』観たマン)

『GOOD TIME』を観た。

 

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人間として幾年生きていると、この人とは相容れない、この人の思考回路がよくわからないという場面に遭遇することがある。「育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない」と山崎まさよしは歌っているが、その言葉を飲み込んだとしてもやっぱり納得できない人間と言うのはいるものだ。セロリ以上にクセがある。

 

このGOOD TIMEの主人公コニーは、セロリのクセをゆうゆう超えていく。日本の一般的な教育を受けていれば共感できない正真正銘のクズだ。弟のペニーとともに銀行強盗を実行するが、弟が逃亡に失敗し、捕まってしまう。その弟を取り戻すために主人公である兄コニーは、なりふり構わず行動に移るというお話。

 

そういえば、この監督であるサフディ兄弟の前作の『神様なんてくそくらえ』もド直球クズ映画であった。ニューヨークという大都会の片隅で過ごし、陰として扱われる若者が主人公という点も共通している。現実的なニューヨークの街並みが冷たい。もうひとつ二作を通して書かれるのは、愛だ。クズなりの愛。

 

クズも一端の人間である。愛という感情を持っている。今作でいえば、弟を取り戻すことが具体的な愛ある行動だ。ただ、取り戻すための戦いかたがえげつない。例えるならば愛の悪用だ。自らの理想を叶えるために他人の愛を利用する。人間は愛を発せられると反応してしまう弱い生き物なのだ。他人の愛を乗り継いでいく主人公のクズっぷりに嫌気がさすが、なぜか引き込まれてしまう。そう、見ている私もどこかで彼の発する愛に惹かれてしまっている。

 

作中、コニーよ、なんでだよ!!と言いたくなる行動が続く。だけども、どこかでハッピーエンドに向かうだろうと信じてしまう私がいる。(そしてコニーもどこかで信じているのだろう。)夢を見させてしまう愛の力は恐ろしい。