『海を駆ける』を観た。
島国であるというのに東京に住んでいると海を忘れそうになってしまう時がある。魚は比較的手に入れやすい環境であるのに、いざ刺し身となって店に並んでいると手を伸ばせなかったり、ボリュームのあるすぐ肉系のものをカゴに入れてしまう。海につながっている川の上はよく通ってるんだけど。フィレオフィッシュでなんとか僕と海をつなぎとめている瞬間でさえある。
内陸国のひとつやふたつにも海軍があるというのだから、わたし達、地球に住む者にとって海は必要不可欠な存在である。恵みだけでなく災いをもたらすものでもあるが。この『海を駆ける』はバンダ・アチェというインドネシアの港町が舞台で、謎の男が突然打ち上げられたことから物語が始まる。インドネシア語で「海」を表すラウと名付けられた男は、不思議な能力を使って周辺の人々を巻き込んでいく。
本作の監督である深田晃司監督の『ほとりの朔子』や『淵に立つ』で印象的だった赤色の魅せ方が象徴的だったのに対して、『海を駆ける』は青の表現が美しい。静かで雄大でありながらときに脅威となる海原がスクリーンいっぱいに広がって、それを見るだけでも「映画」を観た気になれる。
『ほとりの朔子』 の違う世界線のような作品でもあるといえる。津波で甚大な被害を受けたバンダ・アチェと東日本大震災からの被災者が描かれていた『ほとりの朔子』。モラトリアムを過ごす女子大生も登場し、不思議な浮遊感も持っている。名前も「さくこ」と「さちこ」だ。
謎の男・ラウを演じるのはディーン・フジオカ。このディーンさんが醸し出す神秘性や無国籍性が、どこから来たかわからないラウのキャラクターにぴったりとあてはまる。それにしてもディーンはシンプルな服が似合うよなあ。さらっと着こなすあたり無国籍なかっこよさを感じてしまう。作中のラウは、他の登場人物の味方にも敵にもなることなく、淡々と謎の男であり、このラウを利用するものも現れる。ラウが行う神話的行動は果たして奇跡と呼んでいいのだろうか。ラウという男は一体どういう存在なのか考えながら見るだけでこの静かな物語はさらに深みを増すのだ。