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狂気としての透明(『淵に立つ』観たマン)

『淵に立つ』を観た。

 


浅野忠信が主演 映画「淵に立つ」予告編 #Tadanobu Asano #Fuchi ni Tatsu

 

『ほとりの朔子』の深田晃司監督の最新作。実は、この作品を見始めるまで、朔子の監督ということを知らずに見ていた。そして『淵に立つ』を見終わったあと、私は深田監督の過去作品も掘ってやると誓った。2014年ベスト10に簡単な感想も書いてるのでこちらもぜひ。私が二階堂ふみの白目の虜になった作品でもある。

takano.hateblo.jp

 

町工場を営む家族のもとに、刑務所帰りの男が現れる。服役していた男は工場経営者の古い友人であった。。。というあらすじさえ伝えれば、あとは見てくれ。この二行から転がりはじめる無駄のない展開。日本映画らしい人情もののような雰囲気を醸し出しながら、どこか観衆は不安な気持ちで、ある家庭と刑務所帰りの男の奇妙な共同生活を目の当たりにする。

 

俳優陣もこれ以上無いフィットぶり。刑務所帰りの男を演じる浅野忠信のオーラが凄まじい。白シャツにスラックスという、いかにもムショ帰りな風貌からにじみ出る付け刃の清潔さ。平穏な家族に、その男が“異物”として登場し馴染んでいくのだが、どうしても隠しきれない不気味さにヒリヒリする。

 

その浅野の古い友人役である古舘寛治筒井真理子夫婦の、人生に対するくたびれっぷりも実在しているようで恐ろしい。

 

特にあるシーンで、筒井真理子のズボンがずれて腰〜尻あたりが出てしまう瞬間があるのだが、疲弊した母親のカットとしては凄まじい完成度ではないだろうか。やるせない気持ちになってしまった。人生なんて、ほとんどの時間がキラキラしていない。絶え間なく溜息をついてついて少しずつ進んでいくのが人生だ。

 

『ほとりの朔子』との関連性でいえば、色彩の美しさと、狂気としての透明さである。特に心を奪われる白と赤。浅野忠信演じる八坂は、工場で働いているの?と突っ込みたくなるほど純真無垢な白いつなぎで、(周りの出演者をあえて地味な衣装にしている効果もあると思うが)家族との距離を徐々に埋めていく。その白のイメージが効いてるからこそ、赤が生み出す“まっとうな狂気”がますます恐ろしい。

 

そして、見過ごしがちだが、透明の表現も素晴らしい。水辺のシーンや台所のシーンで突然姿を現す人間の狂気に、はっとする。前記の赤い狂気とは違う、“流れ出る狂気”とでもいえばいいだろうか。それこそ滝や泉のように溢れ出す、コントロールができない狂気だ。そうか、水なくして生きられない私達はもともと狂気に囲まれて生活していたのだ。豊富な水源がある地球は、狂気の惑星だったのだ。