『パティ・ケイク$』を観た。
もういい年だというのに、ごくたまにラッパーになりたい時があり、YouTubeや歌詞サイトを駆使して研究しだす夜がある。ピアノもできない、ギターもベースもドラムも何の楽器もできないまま大人になってしまった者たちへの救いの手がヒップホップなのである。言葉は読める。韻も踏める。国語の成績は比較的よかった。(古文は苦手だったけど)今からビルボードのナンバーワンを目指すなら、楽器を習うより言葉を極めたほうが多少チャンスがあると錯覚する。そしてノートに書き始めるのだが、なんにも思いつかないというところで、一時的に夢が覚める。
きっとこういうことを考える人は自分だけじゃないはず、と確信したのが入江悠監督の『サイタマノラッパー』シリーズだ。北関東に住む若者たちのヒップホップを手段とした現状への抵抗は泥臭くて美しい。その泥臭さや美しさを再度感じる機会に恵まれた。『パティ・ケイク$』の主人公、パティだ。美しいスタイルとは言えない彼女もラップスターに救われ、ラップスターを夢見るひとり。車椅子のおばあちゃんとロックバンドの元ボーカルでアル中の母親との3人暮らし。これといった定職もなく一発逆転したくなる家庭環境。
彼女の才能に惚れた親友ジェリの行動力のもと、謎のトラックメイカー・バスタードとともにアルバムの作成を開始する。feat.パティのおばあちゃん。おばあちゃんの声をサンプリングするなど自分のルーツも何もかもぶちこんで魂の一枚を作り上げるシークエンスが好きだ。何事も作って世間に届けない限りは始まらないものね。成り上がるための階段は自分でこしらえるのさ。
おばあちゃんを巻き込む一方で、アル中母ちゃんとの対立構造も見逃せない。母vs娘。ロックvsラップ。バーテンvsアル中。夢破れた者vs夢を掴もうとする者。この世代闘争の結末にホロっと来てしまった。ラップスターを目指す成り上がりストーリーであるとともに、一癖も二癖もある母娘3代が連なった家族のヒストリーでもあるのだ。
最後に微かに韻踏めたのでだれか褒めてくれ。