『ドクター・スリープ』を観た。
「観たことがないけど、知っている映画」は誰でも持っていると思う。恥ずかしながら私は『インディー・ジョーンズ』や『天空の城ラピュタ』などを観たことがない。こうやって映画についてボソボソと書いているくせに、と見下される覚悟だが、いわゆる「観ないと人生損する」と形容される作品を全て見た人間なんているのだろうか。それはお互い様でしょ?と申し訳ない顔をしながら、その皮の下で微笑んでいる。
じゃあなんで観ないのか。『インディー・ジョーンズ』で言えば銃を使って敵をやっつける例のシーンなんかは有名だし、あの季節が来れば、僕のタイムラインは「バルス!」で埋め尽くされる。そういう印象的なシーンや、真似したくなる強烈なセリフがあることで、観たつもりになっている。空気感染みたいにいつの間にか摂取しているのが恐ろしい。
そんな『観たことがないけど知っている映画』の代表作のひとつに、『シャイニング』がある。壁の間に15cmほどの隙間があったら怖い顔して、顔を突っ込みたくなる。ひょっこりはんの始祖だ。ホテルによって精神が狂わされていくジャック・ニコルソンの怪演によって、あの顔が、あのシーンが無意識に刷り込まれている。その『シャイニング』の40年後の世界という設定の作品が、『ドクター・スリープ』だ。
『シャイニング』の頃、ブロンドの無垢な少年だったダニーは、アル中になってしまい、孤独な暮らしを送っていた。そんな中、「シャイニング」という超能力を持つ彼の前に、同じような超能力を持つ少女・アブラが現れる。一方、その頃、超能力者の命を奪うヒッピーのような謎の集団がその少女の行方を追っていた。
『シャイニング』は密室(ホテル)を舞台にしたホラーであるのに対し、『ドクター・スリープ』は、ダニーとアブラ、そして謎のヒッピー集団との関係性が主線となるダークファンタジーアドベンチャーのテイストで話が進んでいく。一応、続編だし、同じ世界の物語なのだが、ジャンルが全く異なるのでムズムズする。なんというか、『シャイニング』の難解さや芸術性を本作品で大衆性に変換したというか。
そんな考えを巡らせつつ、私はある結論にたどり着いた。『ドクター・スリープ』は『シャイニング』をサンプリングしたヒップホップ的精神の宿る映画なのではないかと。この映画では、前作をモチーフ…というかそのまま"サンプリング"したようなカットが多く見られる。
実は今夏、ロンドンのデザインミュージアムで開催されていたスタンリー・キューブリック展に行った。キューブリックの制作した作品が各ブースごとに区切られて展示されていて、もちろん『シャイニング』のブースもあった。メイキング映像が流れるそのブースには、例の斧、例のタイプライター、例の迷路模型が展示されていた。ほら鑑賞済みのあなたなら、なんなら観たことのないあなたでも、文字だけで、それがどのアイテムか思い出せるでしょ?それほど、衝撃的な記号を現在の僕たちに植え付けてきたのだ。
そういえば『レディ・プレイヤー1』でも、『シャイニング』の換骨奪胎が行われていた。パブロフ的にシャワーカーテンが閉まっているだけでドキドキしていたことを思い出す。『ドクター・スリープ』を観て、改めて『シャイニング』という映画史に存在感を放つクラシックの偉大さを感じたし、それをベースに見事にエンタメとして昇華させた『ドクター・スリープ』のヒップホップ力にも脱帽だ。 どちらか観ているのなら、もう片方の作品もチェックすべきだろう。そこには発見があるはずだ。40年の時間旅行を簡単に出来てしまう僕たちは幸せものだ。