砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(岩井堂聖子さんとかシベ少とか)

日本はお正月があるから、クリスマスは25日でスパッとおしまいという風潮があるけど、本場のクリスマス文化圏と同じように年明けぐらいまで続ければいいのになとも思う。同時並行で楽しむ混沌とした年末年始も悪くないはずだ。それとも、あれなのか、クリスマスツリーと門松が共演NGとか、そんなんあるのか?サンタクロースも仕事終わったんだから、帰り道ぐらいはゆっくりしたらいいのに。納品報告ぐらいメールでしたらいいんだよ。一緒にお雑煮食べて、こたつで駅伝見てる小太りのおっさんを妄想する。もちろん、餅づまりにはご用心。

 

というわけで、なんかいろいろ。様々な芸能人がYouTubeを始めていくなか、ついにこの人が開設していることを発見してしまった。私の大好きな岩井堂聖子さんだ。

youtu.be

 

きっとこのチャンネルのターゲット層とずれている自負はあるけど、暮らしの一部を公開してくれること、何より動く岩井堂聖子さんを見れるということで私はそれはもうそれはもう幸せなのです。上記のおすすめ動画を見て、すぐにカルディに同じ商品を買いに行ったので、私も少しだけ岩井堂聖子さんになりました(?)

 

なんだか嬉しくなって、昔、書いた岩井堂聖子さんへの想いを見返す。

takano.hateblo.jp

岩井堂聖子さんを知ったのが『シムソンズ』というカーリング青春映画だったのだけど、この記事を見ながら、そういえばtofubeatsも『シムソンズ』激推ししてたなあと感慨に浸る。忘れかけてた遠い記憶。彼のおすすめする藤井美菜さんのおすすめ写真を見返そうと思ったけども、ブログが閉鎖されているようだ。悲しい。

 

12月中旬は、シベリア少女鉄道の『メモリー×メモリー』を見に草月ホールへ。エビ中中山莉子さんが主演ということで、会場にはエビ中のグッズを身に着けた方もちらほら。序盤の真剣なドラマから、徐々に感じる違和感。そしていつものシベ少のお時間。この執拗な演出は、何かのフリだなあと感じながら見ていたけど、それはあくまでも序章であって、その伏線さえも破壊する展開までは想像つかなかった。見終わったあとに頭の中で答え合わせ。そっか、だから『メモリー×メモリー』なのかと、膝を打つ。そしてキャスティングの時点で、もう伏線が張られていたのかと、鳥肌が立つ。全ては土屋亮一の手のひらの上だ。特典のクリアファイルもありがたい。

 

ニューヨークのYouTubeチャンネルで話題になっている『ザ・エレクトリカルパレーズ』も観た。当事者でもないのになにか胸がざわつく感じはなんだろう。

youtu.be

 

通称「エレパレ」と略されるその集団は、東京NSC17期生の中に存在した自然発生的ユニットで、もしかしたらサークルという表現の方が、当たっているかもしれない。その17期の中で当時中心だった「エレパレ」について、エレパレ以外の芸人、エレパレだった本人の証言をニューヨークがインタビュアーとして聞いて回る。

 

このもやもやの正体は、自分を出演者のうちの誰かと重ね合わせているからかもしれない。高校や大学でもあった自然発生的仲良し。自分の時代は魔法のiらんどとかでオフィシャルページ作っているやつがいた気がする。オフィシャルってなんだよ。正直エレパレだった芸人は全体のうち1人しか知らなかった(むしろ周縁の芸人の方が知名度がある)けど、ただの傍観者にならず見れるのは、そういう共感性があるからだ。

 

踊る阿呆か、見る阿呆か、基本的にどちらかに所属するわけだけど、当時のお互いの印象を赤裸々に話しながら、あの頃のエレパレについて答え合わせをしていく芸人たち。徐々に明らかになっていく「エレパレ」の過去。エレパレの若気の至りが紹介されていくわけだけど、引き出しの奥に残った匂いをかぐような恥ずかしいけど懐かしい感情が襲ってくる。エレパレはmixiページが存在してて、私も思わず見に行った。彼らの記憶の中に留まるはずの「エレパレ」に時空を超えて参加した気になって、デジタル時代の恥ずかしい過去も、少しのかすり傷なら案外悪くないんじゃない?とも思ったりした。

 

 

外付け記憶としてのモノ(『ハッピー・オールド・イヤー』観たマン)

『ハッピー・オールド・イヤー』を観た。


映画『ハッピー・オールド・イヤー』予告編

 

星占いによると今冬に「土の時代」から「風の時代」に移行したらしい。土の時代は「物質やお金」に象徴される時代で、風の時代は「情報やコミュニケーション」などが象徴されるという。つまり、星占い的に言えば、モノの時代が終わり、形のない要素の時代になったようだ。電子化だったり、シェアやサブスクだったり、風の時代に移行したという肌感覚はなんとなくわかる。といっても、私はどうしてもモノに固執してしまう。

 

いや、必要ないものは捨てなきゃとわかっているんだけども、「いつかこれを使うときが…」と伝説の勇者の剣みたいな扱いをした結果、部屋の中をモノが圧迫している。勇者はどうやら私の前でAボタンを押してこない。そんなモノにまみれた私の目の前にタイの断捨離映画『ハッピー・オールド・イヤー』が現れた。衝撃を受けた映画『バッド・ジーニアス』の主演、チュティモン・ジョンジャルーンスックジンに、同作の製作スタジオが再びタッグを組むと言うんだから行くしかない。がらくたの大掃除もせずに映画館へ向かった。

 

 

takano.hateblo.jp

 

 

スウェーデンに留学していたデザイナーのジーンは、バンコクに帰国後、母と兄の3人で暮らす実家のリフォームをはじめる。リフォームのためには、家の中にあるものを処理して空間を作らなければならないために断捨離を開始する。整理をはじめると、友達からのプレゼント、借りっぱなしのレコードや楽器、さらには、元恋人のカメラも出てきて、ひとつひとつモノと、その当時の人々のエピソードに向きあうジーン。自分のモノだけでなく、出ていった父が残したグランドピアノの処分も企てるが、母の猛烈な反対に会い、リフォーム計画は雲行きが不透明に。果たしてジーンは、リフォームを完成されることができるのだろうか?

 

断捨離という言葉が流行りまくって、モノ派の自分は負い目を感じつつあった。きれいな家を作るため、新しい環境を作るための痛みを伴う改革として考えればとても聞こえはいいけど、「なんでそんな簡単にモノを捨てれるの?」という違和感があった。『ハッピー・オールド・イヤー』は、その捨てること=是とする行き過ぎた価値観に歯止めをかけてくれるような印象だ。(といってもモノ派の意見なので、これって自己肯定してるようでもある)断捨離の伝道師、こんまりの映像が作中に流れるんだけど、その模様を見て「天使の顔した悪魔だ」とぼやくのにニヤッとした。ミッドナイトシャッフルかよ。

 

モノを愛でてもミッションはリフォーム。そのためには捨てることが必要だ。『ハッピー・オールド・イヤー』では捨てられるモノを中心とした人間関係の描写が多い。ひとつひとつのモノにその人の歴史がしみついていて、贈与や貸借もあるから、人のつながりも存在するのは当たり前だ。きっとモノを借りていなかったら切れていた縁もあっただろう。

 

「モノより思い出」というキャッチコピーが一時期流行ったけど、考えてみれば、モノで思い出すあのときの気持ちもあるわけで、なかなか分けることができない。借りっぱなしのモノを返すシーンでも、返された側の気持ちも様々だ。たとえずっと手元になくても、人々はモノに自分の人生の一部を預けている。そのモノの記憶を紐解いたときに立ちのぼる言葉は、懐かしかったりほろ苦かったりする。(それにしても行動を起こさなければ永遠に借りパクしてたジーンってずぼらじゃない?)

  

自分がなかなかモノを捨てられないのは、それだけ思い出を失うのが怖いだけなのかもしれない。どこかで過去を否定したくないみたいな安いプライドもあるのだろう。「モノを捨てる」という行為の難しさを改めて痛感する。モノも、モノに依存した思い出もクラウドに保存したい。

 

M-1グランプリ2020の感想を書かせてください

今年、全世界を覆ったコロナという脅威があったものの、たくさんの大人のおかげでM-1グランプリが開催されただけでもM-1好きの国民としてはスタッフ優勝!と賛辞せずにはいられない。自分は準決勝をライブビューイングで見てたのだが、ある組がネタを終えると、次の組の出番前に一回一回サンパチマイクを消毒しに登場するスタッフさんの小刻みな運動量に気を取られてしまった。本当に感謝してます。

 

加えて、YouTubeチャンネルの更新量もとてつもなかったのもありがたい。2回戦、準々決勝と、すべては見られなかったが、こんなに漫才師がいて、漫才師の数だけ漫才のスタイルがあるということに感心してしまった。

 

っつーか、「これは漫才じゃない」論争が巻き起こってるみたいだけど、人生で何千本とネタを見てきた(はずの)自分からしてみれば、またその話ですか、、、と正直見下げることしかできない。過激派の自分からしてみれば、壇上にマイクが一本立っていて、マイクの周りで出演者たちが笑いを取ろうとしたらそれはもう漫才だと思う。誰か一人でもそれを「漫才」と許容した瞬間にそれは漫才になるのだ。

 

「二人組」の「妙齢」「男性」が「軽快なおしゃべり」をするという条件をすべて満たしたものを漫才と思うやつに見せてやりたいよ。テツandトモを、南海キャンディーズを、ザ・プラン9を、ジャルジャルを。過去のM-1がとっくの昔に漫才の多様性を許容しているのに点で見ることしかできないなんて。やれやれだぜ。

 

ヒートアップしてしまったけども、今年のM-1の感想。正直、自分の予想と違った展開になっていた。当てずっぽうでなくて3連単予想当たった人っているのかな?と思うくらい、映像越しには場の空気を把握できなかった。磁場が狂ったひとつの理由は、去年の”美しき呪い”だろう。自分以外の9組がライバルなんだけど、どこか奥の方で、あまりにも完璧すぎたミルクボーイの幻影と戦っているようにも見えた。(私もどこか幻影と比べていたような節がある)

 

そしてコロナという閉塞した現在だからなのか、大声系のネタ、パワータイプの漫才の割合が多かったように見られる。準決勝のときは、その傾向を全く感じなかった。巨人師匠の「ツッコミはお客さんの代弁者」という言葉が、脳内のピースにすっとハマる。自分たちは、大声を上げられない分、彼らに気持ちを託しているのかもしれない。インディアンスのきむさんのタイミングバッチリの「うるさいなあ!」はホントに気持ちが良かった。

 

それにしても、野田クリスタルにとってこれ以上完璧な結末を迎えたラブ・ストーリーのハッピーエンドがあっただろうか。2017年で上沼恵美子にボコボコにされ、2018年、2019年は「えみちゃん待っててね〜」と愛を叫んだものの、成就しなかった。だけども、2018年KOC決勝進出、2020のR-1優勝と、着実に力を付け待ちに待った大舞台。「どうしても笑わせたい人がいる」男の3年越しの想いは、結果として「どうしても笑わせたい人を笑わせた」男になった。そのドラマを知っているからか、マヂカルラブリーの優勝が確定したとき、思わず小躍りしてしまった。ずっと振り向かせたかったあの人が、過去の説教を全く覚えていなかったというのも出来すぎじゃないか。誰かがごちゃごちゃ言っても、これは間違いなくハッピーエンド。野田クリスタルが笑いの女神を振り向かせた一連の物語を "Magical Lovely"と名付けたい。