砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

相席食堂/ジローラモ 白浜の旅

この間に放送された「相席食堂」にしびれてしまった。

スタジオの千鳥が、ゲストのロケVTRを観ながら、その違和感に対して容赦なくツッコむこの番組。2人の視野の広さやボキャブラリーがとてつもなくすごい。今回の旅人は、イタリアの種馬、パンツェッタ・ジローラモ。リゾートとして知られる和歌山県の白浜をめぐる相席旅だった。

 

普通ならロケバスでスポットまで移動するはずが、今回はスポーツカー。口笛を吹きながら運転するジローラモが絵になって仕方がない。さっそく「ジェームズ・ボンドか」というツッコミが入る。千鳥のツッコミって、映画、ドラマ、漫画に例えたものが多い気がする。そのツッコミの意図がわかって面白いと感じるとともに、今までそれらのポップカルチャーに触れて血や肉にしてきた自分のことを褒めてあげたくなる。

 

ジローラモらしくビーチや店で若い女性に積極的に声をかけ、ボディタッチしながら会話をするロケ(そして本当にナンパ)。ここまでパーソナルスペースの近い街ブラも見たことがない。

 

とうとう、旅館の美人女将までも誘いだし、まさかの成功。女将は着物のままでジローラモのスポーツカーで移動する。(ナンパ→もう車乗ってたの編集が最高だった)2人は野外のレジャー施設へ。そこでは、サバイバルゲームが遊べるようになってて、ジローラモと女将は射撃訓練を行う。ここでも、ジローラモと女将(顔を防護するガスマスクのようなものをつけている)と、その場にいた子供の3ショットが抜かれ、ノブが思わず「ただのタランティーノの映画なのよ」とぼやく。バイオレンスと歪んだオリエントはただのタランティーノだ。

 

女将がエアガンに苦戦しているのをサポートするジローラモ。やっぱり距離感が近い。その仲睦まじい様子を見て見ぬ振りするこども。純朴そうな見た目であたふたしているのが微笑ましい。そのシーンに対する大悟のツッコミがすごかった。

 

 

あの子は今日の絵日記何を書く?

 

 

夏休みで行ったレジャー施設で見てしまった大人の戯れ。家族も絵日記の題材になればと、ここに連れて行ってあげたのだろう。画面上に映った3人だけでなく、学校生活や、家族の愛など少年を取り巻く環境が、このツッコミだけで浮き上がってくる。そして、子供の頃の夏休みを使い切った僕たちは笑いつつも感慨に浸るのである。あの少年は大人になっても、夏がくるたびにイタリア兵と着物ガスマスクと戦った日のことを思い出すのであろう。

 

 

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最後にやり残したこと(『火口のふたり』観たマン)

『火口のふたり』をオンライン試写会で観た。

 

www.youtube.com

 

恋人だった人のSNSのアイコンが、突然ウェディングドレスを着ている写真になっていたことがある。その人とは連絡もしばらくとっていなかった。結婚を決めた人がいること、その彼がどんな人間なのかなんて知る由もなかった。ただ、これは自己中心的な思いだけど一言だけでも自分に言ってほしかった。かといって、その理想の状況になったら自分は、引き出しの奥からホコリまみれの未練を取り出して、次の行動にうつしてしまいそうになる。だから、何も言ってくれずに結婚してくれたほうが正しい。

 

『火口のふたり』は結婚を控える女性・直子と、過去に関係を持っていた男・賢治のたったふたりだけが登場する映画だ。直子の結婚式のために、賢治は秋田へ帰郷する。そこで久々の再会を果たしたふたりは、思い出話に浸りながら、一夜だけと、過去の関係に戻り始める。直子の結婚相手が帰ってくるまでの5日間のモラトリアムの話だ。

 

アメリカでは独身最後の夜を友人たちでハチャメチャに過ごすと聞いたことがある。『ハング・オーバー』みたいなイメージだ。それに比べて、この『火口のふたり』は男女二人だけで行うバチェラー・パーティーのように感じた。結婚したら、二度とこの関係に戻れない。人生におけるひとつの最後を惜しみながら作中のふたりは何度も愛を重ねていく。

 

「最後にやり残したこと」というと、大げさだが、やることは決まっている。ふたりで食事、ふたりでお風呂、ふたりでセックス。そして、イレギュラーに起こる限りなく小さな事件。そこにあったはずの日常が映し出されるが、なんとなく世界の終焉が迫りくる暮らしに思える。東京のような人混みにまみれている描写はほとんどなく、秋田という地方都市が舞台というのも影響しているのかもしれない。終わりゆく幸せを感じながら食べるアクアパッツァが美味しそうであった。(このときに、私はアクアパッツァを作れる人間になりたいと固く誓った)

 

最少人数で共有している世界だからこそ、この物語が進むにつれて明らかになる事実は衝撃的だ。時折、説明的なセリフもあるが、この作中の2人だけが知っている世界は、第三者の観客が知った事実よりも、もっともっと濃密で暗くて、そして美しいのだと思う。

 

 

After the #TANKASONIC 2019

今年もTANKASONICという大規模な短歌のフェスがありまして、参加させていただきました。好きなアーティストを1組選び、愛を込めた5首を発表する企画。私は、フィメールラップデュオのchelmicoをテーマに短歌を作成しました。私のchelmicoのハマりっぷりはこのあたりを参照。

 

takano.hateblo.jp

 

そして、発表した短歌はこちらです。タイトルは「chelmiconori」です。

 

 

帰り道 右旋回し薄暗いフロアの隅から本編開始

 

小刻みに背とハイライト揺れている ラジオの光の下でLate Night

 

ランダムで惑星ゼーベス バニラバーほおばりながらマジギレしてる

 

ねえパーシー世界を回してこの揺れでどこでも行ける今日はハワイへ

 

終電で読む星占い当たってて涸びた瞳の奥からドゥザナイ

 

 

ラッパーということを考えて、二句目と五句目で必ず韻を踏むという条件を自分に課して、作りました。1首目は比較的わかりやすくて、「みぎせんかいし」と「ほんぺんかいし」で刻んでいます。

 

2首目、3首目はそれぞれMC mamikoMC Rachelを意識して作り上げました。踏んでる韻もmamikoなら「あ・い・お」、Rachelなら「え・い・え・う」で縛っています。本人の名前を出さずに、韻で立ち上がらせる。これが今回の連作の中でやりたかったことだったりします。ゲーム好きのレイチェルということをイメージしてたどり着いた「惑星ゼーベス」(スマブラのステージ。酸がせりあがるギミックですごいストレス溜まる)が一番のお気に入りワードです。

 

4首目、5首目は入れたい言葉を軸にchelmico全体の世界観を補足することを目的に作ってみました。「ドゥザナイ」という言葉は『ラビリンス'97』という歌に出てくるのですが、未だに正しい使い方がわかりません。この用法であってるんでしょうか。

 

さいごに、今日はchelmicoの新アルバム「Fishing」のリリース日ということで、早速聴き倒しております。ああ、このアルバムをもとにした短歌も作りてえ。Takanori Takanoでした。

 


chelmico「Balloon」