砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

おのののかせたい

 

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

おのののかをおののかせたいんだ

 

おのののかの後ろに陣取って

大声出したらおののくだろうか

 

おのののかにペンを渡すとき

おもちゃのヘビをあげたらおののくだろうか

 

おのののかと日本一怖い

お化け屋敷に行ったらおののくだろうか

 

おのののかにシリアルキラー

話をしたらおののくだろうか

 

とにもかくにも

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

おのののかをおののかせたら

僕のことを好きになってくれるかな

 

おのののかをおののかせたら

逆に僕を嫌いになるかな

 

おのののかをおののかせたら

怖い人たちに目つけられるのかな

 

おのののかをおののかせたら

毛穴が開くほど怒られるのかな

 

だけどやっぱり

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

おのののかがおののいたら

おののののかになるんじゃないかな

 

おののののかがおののいたら

おのののののかになるんじゃないかな

 

おのののののかがおののいたら

想像通りにおののののののか

 

おののののののかを抱きしめたら

おのののかに戻るんじゃないかな

 

抱きしめたいから

 

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

おのののかをおののかせたいのさ

おのののかをおののかせたいのさ

 

takano.hateblo.jp

 

大将と代表と将太(『LIVE FOR TODAY-天龍源一郎-』観たマン)

『LIVE FOR TODAY-天龍源一郎-』を観た。

www.youtube.com

 

好きなものと好きなものとが組み合わさるのは本当に嬉しい。幸せはここにあるのだと認めてしまう。今回は、映画×プロレスという私のよだれダラダラもの。一昨年に引退した“ミスタープロレス天龍源一郎の、引退発表から引退試合までの、いわゆる“引退ロード”に密着したドキュメンタリー作品である。

 

ちなみに、その引退試合、私も両国まで足を運んで、しっかり拝見しましたよ。今もあのメインイベントの観客の声が蘇る。

takano.hateblo.jp

 

もちろんこの映画での主人公は天龍源一郎なのだが、もうひとりいる。それは天龍の愛娘の紋奈だ。ひょんなことから天龍の所属する団体の“代表”になってしまった彼女が必死になって、団体を切り盛りし、父親の最高の“死に場所”を探す旅も見逃せない。

 

ナレーターはまさかの染谷将太くん。染谷くんはやっぱりガチだ。染谷くんも舞台挨拶に来ると聞いて、おじさん行っちゃったよ。

https://www.instagram.com/p/BQE2wTTDoKL/

朝から天龍さんに会えて血湧き肉踊ってる。画素で水彩画みたいだけど。 #revolution #livefortoday #thunderstorm

染谷将太菊地凛子と3人で後楽園ホール行きたい。できれば大日本。 

 

映像の中の、65歳の天龍の傷だらけの体が本当に痛々しい。リングシューズを脱いだほっそりとした、素足の天龍や、杖をしながら歩く天龍に泣きそうになる。天龍の家の玄関にも杖が吊り下げられている。プロレスラーが持つことを許されるファンタジーさを消して、ありのままを見せつけてくるミスタープロレスに言葉を失う。

 

もちろん、そのありのままの姿は、リングに上がれば“ぼくらの天龍”になるということだ。親子ほど年の離れた対戦相手に放つグーパンチ!チョップ!映画館に響き渡るチョップの音が心に響く。和太鼓のような重厚感。二度と味わうことの出来ないチョップを浴び、なにかを感じる未来のミスタープロレスたち。この映画では「プロレスは伝承文化」というのがひとつのキーワードになる。見て、受けて、継がれる意志。

 

すべての“引退ロード”をかけぬけ、とうとう引退試合。Thunder Stormが鳴り響く中、最後の勝負の地へ向かう天龍の背中でおじさんはウルウル。65歳になっても、20代にけちょんけちょんにされながらも勝とうとする泥臭い人間でありたい。

 

欲望を満たすシーン(『ケイト・プレイズ・クリスティーン』観たマン)

『ケイト・プレイズ・クリスティーン』を観た。

www.youtube.com

 

食べ物と同じように、映画も「1週間限定上映」「レイトショー限定」というプレミア感のある言葉がついてしまうと、観なければ損!という気持ちが余計湧いてしまう。

 

この『ケイト・プレイズ・クリスティーン』もユーロライブでたった1日限定公開というレアな作品である。ある意味、時間的に許された者しか観ることの出来ないこの作品をどうしても観たかった。というのは、あらすじだけで、もう衝撃的だったのだ。事の顛末を求めに、すぐにチケットを抑えた。

 

舞台はフロリダ。1970年代のあるケーブルテレビ局のニュース番組の生放送中に、出演中の女性キャスター・クリスティーンが、自らの頭部を拳銃で撃って自殺した事件が発生。(しかも実話。。。!)この実話を映画として再現するために、クリスティーンを演じる女優・ケイトは、クリスティーンの周辺を取材しながら、事件の背景や、彼女の抱えていた苦悩を知ることになる。つまり、題の通り『Kate plays Christine』(ケイトはクリスティーンを演じる)というわけだ。

 

まず、このようなショッキングな事実が存在していたことが悍ましい。一般的にインターネットなんてものはないし、記録に残すのが今よりも難しかった時代である。劇中では、この“事件の瞬間”のVTRを探すというのがひとつのフックになっている。ある種、都市伝説を検証しているような展開。そのVTRを求め各所を廻る真面目なケイト。ケイトは本当に真摯なやつ。

 

ちなみに、YouTubeで「Christine」と入力すると、サジェストで、この事件に関する項目が出てくるのがなんだか恐ろしい。(と、同時に、興味本位で検索した自分自身も、その恐ろしさの中に入ってしまった。罪悪感でいっぱいだ。)

 

当時の新聞記事や、 同僚たちの証言から、徐々に立体的になるクリスティーンという女性のパーソナリティ。クリスティーンが抱えていた心の闇。また、男性社会の中で女性が活躍することの難しさ。手軽に銃が購入できるアメリカの背景など、社会的な切り口が多くあるのも見逃せない。

 

真面目なケイトは、外見もクリスティーンに近づけて、撮影に臨むのだが、自分の理想の演技ができず苦悩する。その葛藤や苦悩がいつしか、クリスティーンの苦悩にリンクし出すのだ。

 

しかし、苦悩を語るインタビューなどがある本作品のような、ドキュメンタリー的な側面を入れている映画というのは上級者向けなのではないかと思う。この映画は「Kate plays Christine」でありながら「Kate plays "Kate plays Christine"」であることを忘れてはいけない。META!

 

ラストシーン(ということは・・・である)を迎えて、私の心臓はバクバクの手汗ダラダラであった。そして、、、

 

私の頭の中では、作中でニュースキャスターが何度も読む「これからお見せするのは、最新の臓器と流血の映像です。」という原稿が未だに離れない。