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さよならぼくらのテンルー

11月15日にプロレスラー・天龍源一郎の引退興行を観に両国国技館まで行ってきた。

 

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天龍の親父の最後の晴れ姿拝見させていただきます。雨は去り、龍が昇る準備はできた。 #天龍源一郎 #革命終焉 #prowrestling

 

天龍源一郎の格闘技生活の中で私がリアルタイムで終えたのはわずか5分の1だ。新日本に“外敵”として戦ってた時代がはじめてこの男を知った時だと思う。柴田をビール瓶で殴ったり、NOAHで、テンガロンハットを被ってJで入場してくる森嶋猛をにらみつけたり、そんな自分の応援する世代のふたつかみっつ上にいる強敵というイメージが強かった。

 

いつしかプロレスの文脈を追っかけていくようになり、次第に天龍源一郎という男のやり遂げたことを知って、自分の中で彼の重厚な背中がぐんぐんと大きくなった。BIピンフォールに電流爆破、そして男女対決。中古で買ったプロレスゲームではひたすら天龍をつかって延髄斬りを決めてはニヤついていた。

 

そして引退試合。65歳まで戦い続けるなんて。昭和は64年だから、まさしく昭和のプロレスラー=天龍で間違いない。正真正銘の伝説の男がリングを降りる瞬間をこんな平成の青い歴史しか知らない若造が見れるなんてすごいことだ。

 

天龍の対戦相手は現役バリバリのオカダ・カズチカ。これ以上ない対戦相手。プロレス好きは対戦カードをいろいろなものさしをつかって測るのが好きだ。過去vs現在。昭和vs平成。親父vs若造。この試合、正直見たいけど見たくない。そんな気持ちの人達が両国に何人もいたことだろう。

 

よくプロレスラーは「リング上で死ねたら本望」と言う。その考えが三沢光晴の悲劇が起こるまではかっこいい言葉だと思っていた。ただ、この天龍の引退試合を観て、その言葉の本当の意味がわかったのだ。オカダの一撃必殺技レインメーカーを喰らう天龍。両国にいた1万人がこの時間が長くないことを知っていた。天龍に覆いかぶさるオカダ。そのとき観客からの「天龍うううう!」という叫び声。そのとき私は、「天龍は死んだ」ことを悟った。もう天龍はカウント2で肩をあげることはないのだ。だが、それでいいのだ。

 

「リング上で死ぬ」の本当の意味とは「ファンに囲まれながら耳元で最後の3カウントを聞く」ということなのではないだろうか。不格好な延髄斬りを決め、天龍は顔面に何回もドロップキックを食らって、そしてレインメーカーを食らって最高の形で散ったのだ。そこが最高にかっこいいのだ。あの死に様は天龍にとっても本望だったはずだ。

 

試合後のオカダの深々とした一礼に涙が出そうになった。ひとつの時代が終わり、また、交わらなかった時代がひとつになって大きな筋になった瞬間。オカダは天龍が積み重ねた魂を正々堂々と受け取ったのだ。ああ本当に観に行ってよかった。これからますます時代の証人として応援していかなければ!!