砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

キラキラクロス

街を歩いていると、憧れたくなるような人がいっぱいいる。私は、自分の体より大きい物を持って歩く人を見るとなんだか憧れの気持ちを抱いてしまうのだ。

 

例えば楽器のケースを背負っている人。私は、全く楽器が出来ないので、それだけで憧れる。ギターケースはもちろんだが、バイオリンケースもコンパクトでスマートに見える。KORGのロゴでアピールしたキーボード奏者も捨てがたい。楽器を抱えながら帰り道でバンドメンバーとどうでもいい会話をする。そんな人生の一場面をやってみたい。単純にうらやましい。

 

楽器以外でもうらやましさを感じるものがある。例えばなぎなた。電車移動の出し入れで苦労するだろうが、長いそれを持っているだけで周りの印象が変わってくる。この人は真面目なんだなと一瞬で思わせることが出来る。私はこれをなぎなた効果”と呼んでいる。

 

だが、私が一番持って歩きたいのはラクロスだ。そう、あのラクロスの、先端に網のようなものが付いたアレである。あの棒を持っているだけで、街の人々にリア充であることを伝えることができるのである!たとえ陰気にまみれた状態であってもあのラクロスの棒さえあれば、キャンパスライフを謳歌しているとみなされるのだ。最高かよ。ああ私だって、あのラクロスの棒を持って電車の中でキラキラと爽やかなポーズを決めたいものだ。そのためには小麦色の肌になって、練習を日頃からやっていることを裏付けなければ。

 

しかし、しかしである。そもそも、あのラクロスの棒って、どこに売っているのだろうか?あの長さの棒を売っているところなんて私の記憶の中では、ホームセンターとかクリエティブライフストアなんだけども見かけたことはない。Amazonに聞いてみよう。

 

手に入れたとして、不安な点がもうひとつ。このキラキラしたキャンパスライフを過ぎた後の人間がラクロスの棒を持って歩いたとしても、それが“ラクロスの棒”としての効果を発するのだろうかということである。いくら金棒だって、鬼のような腕力が無ければ振り回せないのである。

 

若さが枯渇しかけた人間がラクロスの棒を持つとどうなるのか。それはヨネスケである。ラクロスの棒の網の部分の丸みが、いい具合にしゃもじになってしまうのだ。キラキララクロスマンか突撃晩御飯マンになるかは、ラクロスの棒を握ってみないとわからない。

 

ラクロスの棒が、私の若さを認めれば晴れて、街を堂々と歩くことが出来る。(ラクロスをする気は毛頭ない)万が一ヨネスケになってしまったとしても、メシ代を浮かすことができると考えるなら、それはそれで素敵な進化だ。

 

 

 Amazon、ケースだけ売ってんのかい。