『レディ・バード』を観た。
ついさっきまで高校生だった。。。なんて言えない年に来てしまった。なんとなく若者というハッシュタグをつけて今日まで生きてきたけども、もう期限切れなのかもしれない。 やや早送りした音楽に合わせて口パクの動画を撮る楽しさがわからないし、それにかわいいと思える感情がわかない。あらかじめ定められたBPMで踊り狂ってる女の子のほうがとっても好きだ。と、いってもおじさんの言うことなんか見向きもしない。それが若さってもんだ。
といっても、私は若い状態を経てこの現在形だ。いつの時代だって不変な若者の悩みは経験してきたつもりだ。そして、その苦さを思い出させてくれる映画が存在していることで、その若い状態からひとつづきで、今の私があることを再認識してくれる。このようなモラトリアム系映画はなんだかこっ恥ずかしいんだけどもどうしても観てしまう。去年の『スウィート17モンスター』とか最高でしたね。
そのモラトリアム系映画に新たな傑作が誕生した。サクラメントに住むレディ・バードと自称する女子高生の多感な日常を微笑ましく描いている。無限大な能力を持ったように誤解してこの世に生まれたけれど17歳になると徐々に自分のできないことが見えてくる。辿り着けそうにない場所がわかってくる。そこに抗うために、恋に進学にレディ・バードはひたすら行動を起こす。友達を乗り換えてみたり、遊び上手な女になりすましてみたり、渡り鳥のように自分の居場所を変えながら、たどり着きたい場所を目指す。ただ、どこにたどり着きたいのはわからないまま。
未来への自分の期待と、それを思い通りに描けない悔しさが思春期の怒りの正体なのかもしれない。しかし、その衝動的にもがくレディ・バードが羨ましくてしょうがない。
そして、シアーシャ・ローナンが好きなんです。なんでしょうあの瞳で見つめられたら動けない。メドゥーサよ。そらレディ・バードもといシアーシャが同級生でいたらどんなにドキドキする毎日だったでしょう。しかし、レディ・バードの瞳には私は映らない。だってもっと上の方向を目指しているのだから。つらい。勘違いさせてもいいから高校の時バンドとかやっておくべきだったね。そういう経験がのちのち効いてくるものだよ。あの頃に戻ってやり直したいと思う一方で、今の自分も嫌いになれない。やり直したとて、違う歪みが生じることだってある。17歳を完璧に通る人間なんていない。あのときの後悔を糧にして今を進むしかないのだ。