砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

誰が世界の終わりを報道するのだろう

世界の終わりを予告される日ってこんな感情なんだろうか。朝起きて、携帯をいじっていたら衝撃的なニュースが舞い込んできた。「SMAP解散」あまりにもこの2つの単語の結びつきが起こすフィクション力の強さに、まもなく1日が経とうとしているのに、3Dメガネでこのニュースを見ているように、未だに現実の出来事として認識することが出来ない。

 

小説家の朝井リョウは「SMAPはインフラである」との言葉を残したらしい。全くそのとおりだ。物心ついたころにはテレビにはSMAPがいた。カラオケではSMAPを歌うし、学校の体育祭や文化祭でSMAPの曲をかけなかった学校はなかったのではなかろうか。しかも我々の世代であれば、SMAPがひたすらアイドル道を驀進し、やがてアイドル道を開拓する姿をほぼ逃すことなく見てきた。森くんがいなくなる瞬間から中居くんがオカリナとキスをする日までずっと見てきた自負がある。そのSMAPがなくなるのだ。喪失感はどんなものになるだろう。ふと青いイナズマ→SHAKE→ダイナマイトが連続で発売された奇跡を当たり前と思っていた幼少期の自分の記憶が蘇ってきた。

 

しかし、1月だけで音楽ニュースの濃さがエグい。ゲスにデヴィッドに、このSMAP。このままショッキングなニュースが続くなら9月辺りに「今年で紅白歌合戦が終了」と言われてもなんにも感じなくなる。