去年、衝動的にSMAPについて書いた内容が3本もあったことに気づく。
“SMAPネイティブ”として、不安がつきまとう一年であった。宇宙のほとんどはダークマターで出来ていると聞いたことがあるが、それが明るみになって我々を脅かすような感覚でもあった。
ただ、不思議な事で8月に解散が決定となってから、季節が涼しくなるにつれて、この事実を受け入れるような気持ちに、というより気の抜けた容れ物になったことを覚えている。もし、私が余命を宣告されたらば、こんな気持ちで死を迎え入れるのかな。
2017年1月1日は何事もなくやってきた。ジャニーズのカウントダウンコンサートをつけていたのだが、スーパーヒットメドレーでオリジナルスマイルが流れたときは、ほとんどの観衆はドキッとしただろう。しかし、それ以外は何も起こることなく、堂本光一はまたひとつ歳を重ねたし、空が割れる兆候もなく、太陽はいつものように地上に顔を出し、その光をありたがる人々もいつものように笑顔だった。世界は終わらない。終わっていたとしても新たな世界がまた動き始めただけだ。
それにしてもSMAPのコンサートを一回も見に行けなかったのは死ぬときに思い出す後悔のひとつになるだろうな。“アイドルはナマモノ”という常識を覆そうとしたのはSMAPだっただけに余計に感じる。(その分、現在進行形で活躍している人たちの姿を目に焼き付けなければいけない!)去年の心の痛みが、自分の目に届く一生の古傷になれると2016年を生きた意味がない。生まれて初めてSMAPのいない人生がはじまるのだ。
時間は有限なものですが、できるだけいろいろな生の姿を観ていきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願い致します。