『ビバリウム』を見た。
決めつけられるのが嫌だ。例えば、あれは大学生の時のこと。自分の見た目が若々しい男だからという理由で、定食のご飯が大盛りになっていた。その「若い男=めちゃくちゃ食べる」という都市伝説カテゴリーに所属してもいい己の統計を無意識で押し付けてくるのに嫌気が差した。私は、ちょうど1人前がいいのに。1人前で次の食事まで過ごせる体なのに。悪意がないのは知っているから、文句を言うことができず、最後はすでに苦しい胃袋に無理やり詰め込んで完食した。抗いにくい決めつけを受けたら、Tポイントが貯まるとか、優先的に青信号に変わるとか、そういうことにならないでしょうか?
『ビバリウム』という映画には、決めつけられた価値観が存在する。新居を探すカップルのトムとジェマは、ある不動産屋を訪れる。不動産屋のスタッフによればYonderという区画にあるその物件はすぐに内見をできるとのこと。早速、内見しにYonderの物件に行ってみると、いつの間にか、案内をしてくれたスタッフは消え、街へ戻ろうとしても、同じ家にたどり着いてしまう。完全に路頭に迷った2人の前に現れたのは、段ボールの中に入った赤ちゃんだった。
家族3人でマイホーム生活。字面だけ見れば幸せなイメージなんだけど、この条件を満たしているはずの『ビバリウム』の世界を通してみれば、それは、決めつけられた価値観であって、トムとジェマにとってみれば端的に言って無間地獄だ。望まない子供、望まないマイホーム、望まない食料、望まない父親と母親の役割、望まない青空。これがすべて揃っていて逃げられないんだからトムとジェマはだんだんとおかしくなっていく。段ボールに入っていた子供も一癖ありで、観客までも頭がおかしくなりそうになる。およそ100分ぐらいの映画なのに、体感時間がとても長く感じる。
自分は、かつて不動産展示場の道案内の看板を持つバイトをしたことがある。駅前に立って「〇〇展示場はこちら、徒歩○分」と書いてあるの大きい看板を、朝から晩までただ持っているだけのバイトだ。これが非常につらいのだ。一応、仕事中だし、不動産展示場側の人間になるわけだから、露骨に携帯をいじることも許されず、雨が降ってきても屋内に逃げることも出来ない。普段は短いと思っている1日が、なんとも退屈で、ただただ太陽が沈むのを1秒でも早く祈るだけだった記憶がある。それ以来の体感時間の長さだった。『ビバリウム』を観ているときの映画館は、逆・精神と時の部屋だ。
修行を終えた後の私は、傷が癒えぬまま映画館から出ながら、前時代的な価値観は捨ててしまおうと誓った。