『クライ・マッチョ』を観た。
もはや日本語になっているマッチョだけども、私はネイティブなマチョーな言い方のマッチョが好きだ。日本語のマッチョだと、チョで音が停止する感覚があるがマチョーは流動感がある。硬めのマッチョと柔らかめのマチョー、どちらがお好き?そして、そもそもこれはなんの話をしているのだろうか。
表記もクライ・マチョーにしたいのだけど、『クライ・マッチョ』は生ける伝説、クリント・イーストウッドの最新作だ。初めての監督作が1971年の『恐怖のメロディ』で、今回が50周年記念作品だという。とてつもない金字塔だ。これはマチョーをクリント・イーストウッドにあげたい。しかも主演もやっているのだから追加でマチョーをあげたい。
舞台は1979年のテキサス。かつてのロデオスターだったマイクは静かに暮らしていた。あるとき、マイクは知り合いから依頼を受ける。それは、メキシコにいるラフォという息子をアメリカに連れてきてほしいという内容だった。マイクはラフォを無事にアメリカに届けることができるのか、というロードムービーだ。
このマイクとラフォの絶妙なアンバランスさが最高だ。カウボーイハットをかぶり、テキサスの男丸出しなマイクと、強い男に憧れる13歳のメキシカンであるラフォは国籍も年齢も宗教観も何もかもが違う。だけども、この2人の鎹のようになっているのがラフォの飼っている雄鶏だ。名前はマッチョ(つまりラフォの発音でいえばマチョーだ)。闘鶏として戦うマッチョ。マイクと戯れるマッチョ。ラフォの腕の中でおとなしいマッチョ。このマッチョを食べようとジョークをかますマイクもかわいい。個人的には、広大なメキシコの平野を2人と1羽でポツポツ歩くカットが好きだ。
この2人(と1羽)が旅をしていく中で関係性に変化が起きる。父親としての役割も兼ねながら、生き様を教えるマイクと、旅の最中におきる数々のピンチを機転の良さとメキシカンならではの処世術で切り抜けるラフォが名バディになっていく。そしてマッチョも躍動する。果たして、この旅の終点には何が待っているのか、マイクとラフォは何を手にしたのか。物語の構成自体はシンプルなんだけども、じわっと心が暖かくなる映画だったので、たくさんのマチョーをさしあげたい。