砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

カレーは食べもの

ああ、自分カレー食べているなあと思うことがよくある。よくあるということはその数だけカレーを食べているということだ。もちろん今まで平らげたカレーの皿は数えたことはない。体がカレーに染み付いているというか、頻繁に摂取しないと、健康でなくなるというか。それは日本かインドか、はたまたイギリスの陰謀なんだろうか。とか考えながらも食べる。美味い。

 

街のカレー屋がとにかくずるいと思うのが(ほとんど)黄色い看板であることだ。思わず目が行き、ひきつけられる。店頭のカレーの写真を見て、脳内、口内に溢れでる過去のカレー達。導かれるままに入店。注文したカレーを待ちながら、ふと思い出す。あ、3日前も食べたんじゃん。なんとなく後悔。でも、まいっか。で、食べる。やっぱ美味い。そして、どこかのタイミングで(なるべく早いと思うが)最近カレーを食べたことを忘れている。

 

トッピングやカレーソースのサラサラorドロドロも人それぞれ好みがあるから面白い。私は、ドロドロ至上主義者。サラサラにするなら、いっそスープカレー食うわ!な人。トッピングはチーズも好きだけど、最近はなんだかソーセージを追加注文してしまう。いわゆる“パイセン”みたいな浅黒い光沢を皿の上で輝かせるソーセージに惹かれてしまう。しばらく皿の端っこに休ませておいて、カレー+ライスに飽きた時にソーセージをパリッ。広がる肉の旨味。また忙しなく動き出すスプーン。気づけば空っぽ。ごちそうさまでした。

 

ただ、味はなんだかんだ覚えているようで、今まで蓄積されたカレーの記憶により、舌が肥えてきて、昔より「美味しくない」と感じてしまうカレーが増えてきた。昔は“食事がカレー=勝利確定”だったのに。いつのまにかカレーのご飯にもこだわりがでてきた。こうやって、人はみな海原雄山に近づいていくのだろうか。

 

「忘れっぽい」「ハードルが高くなっている」というキーワードだけを抽出したら、カレーって幸せが可視化されたものだということにふと気づく。あれは幸せを食べていたのだ。反省します。カレー屋のみなさん、いつも私が食べた皿を洗ってくれてありがとう。もっとカレーの旨味を噛みしめてまいります。カレーは飲み物という考えなんて捨ててしまおう。

 

これは今日ソーセージをトッピングしたカレーを食べた私の備忘録である。