砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

餃子さえ作れない

だいぶ遅れましたが2021年になりましたね。あけましておめでとうございます。といっても、2年連続2回目の2020年感が拭えない。東京の街を歩けば、至るところにいまだ残る「TOKYO2020」の幟が時を進ませないように見える。

 

昔から冬場は外出時に必ずマスクをしていたから、これで丸1年はマスク生活をしていることになる。不思議なもので、マスクをしながらの会話が上手くなった気がする。人間の適応力に我ながら惚れ込む。

 

だけどもそもそも不器用な私は、適応できないものはてんでだめだ。自分の出来なさに小さな絶望を覚えることがある。最近で言えば冷凍餃子だ。「油を敷いて、凍ったまま餃子を焼いてください。焼いている面に焦げ目がついたらお水を入れて蓋をして蒸し焼きにしてください」との説明に従い、調理をすすめる。

 

餃子をのせたフライパンに蓋をして数分。フライパンの上の水を蒸発させるのが最後の工程だ。冷凍餃子がようやく餃子らしい後頭部(?)を見せたところで、フライ返しを餃子と鉄板の間に挟む。これで拾い上げて、お皿に乗せる。焦げ目がどんな顔をしているのか楽しみにフライ返しを差し込む。

 

あれ?つるっと餃子が取れない。私の脳内では王将の厨房のような光景が浮かんでいるはずだったのだが、全然行かない。むしろこの感触はやばくないか?と焦ったのが敗因だったと思う。力強くフライ返しを差し込んだ結果、皮がベロンとやぶけて、すべての餃子の餡が丸見えになってしまった。顔は鉄板にこびりついたままで、餃子としてのアイデンティティを台無しにしてしまった。皿に乗せたときぼとぼとと皮からこぼれだす餡たち。説明書通りにやったのに。フードファイター小林尊はホットドッグを食べるときに、バンズとソーセージをそれぞれ食べる戦略で、早食い大会を制覇したが、見事にセパレートした目の前の肉団子と皮は早食いに適している。(適していない)

 

そのショックの数日後に、中華料理屋さんで食べたきれいな餃子を見て、ますます落ち込む。美味しくて落ち込む。肉団子と皮より食べやすくて落ち込む。幸せなのに落ち込む2021年。本年もどうぞよろしく。