水道橋博士の「藝人春秋」文庫版を読んだ。
本当はハードカバーで読むべき内容の本だと思いつつも、完全に読む機会を逸してしまった。文庫版が出版されること、さらにはボーナスチャプターも追加されるということを知り、チャンスが再び巡ってきたと思ったので読み始めた。
藝人(登場するのはコメディアンだけではないので、この表記が正しいのではないだろうか)たちのエピソード(というより神話の類に近い)に驚かされるし、そのエピソードをところどころ言葉遊びをはさみながら語る水道橋博士の文章がとても気持ちいい。しかし、世の中には変な人がいるもんだ。
この話のドンピシャ世代はおそらく30代ぐらいなのだろう。少し世代が若い自分にとっては、例えば「石倉三郎がコメディアンだった」といわれてもピンとこないし、湯浅弁護士はただの髪振り乱しイエイイエイおじさんだし、そもそもロックフェラーセンター自体もなんとなく、その単語だけ知っているというような状態なのだ。で、あってもこの本の中で描かれている登場人物の(人情・変態っぷりをも含めた)カッコよさにしてやられた。
そして、ボーナスチャプターの「2013年の有吉弘行」とオードリー若林氏の解説が素晴らしい。こちらの方が、現在進行形でその成り上がりっぷりを見ていたこともあって、そのサクセスストーリーの生き証人のような心持ちになって読んだのでどこか誇らしかった。若林氏の解説なんて、これはひとつの立派な青春私小説だ。あの2008年のM-1を見た奴は全員読め。
しかし、このエピソードに出てくるようなハチャメチャな藝人って今後出てくるのだろうか。昔の話なので神話性が増しているということもあるんだけど、「芸人」でみるならば芸人というものがひとつの地位として認められてしまったし、「芸人になる」というシステムが確立してしまったことにより麓が広がっているし、そもそも「芸人」の定義が曖昧な時代だ。
また、本著で取り上げられている湯浅弁護士や甲本ヒロトのような人間性の濃い「藝人」も昭和と平成、ネット以前・以後の間を生きてきたからこそ「それって本当なの?」「〇〇によるとどうやら本当らしい」というスレスレのノンフィクションを背景に語れるから面白いのであって、アーカイブ化された時代では、その面白みもただの「事実」として成り下がってしまう。
登場する「藝人」たちの伝説に震えながらも、どこかで「藝人」の輪郭がどうしてもくっきりとしてしまう世の中が寂しいと読みながら思った。