砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(さらば藤井とか山里亮太の1024とか)

占いは比較的信じる方だ。いい事だけを信じるみたいな人はいるが、私は逆で、悪く書かれている内容を信じてしまう。「体調の変化に注意!」であれば、なるべく冷たいものは避けようと思うし、「仕事先で思わぬトラブル」とあれば、いつも以上に入念に資料などの準備をしてから臨む。占いが言っていることは、お母さん的な側面もあるので、それを守って危機回避をしているつもりだ。それで、今の私はゲッターズ飯田の占いでいうと裏運気という時期にあたる。思い通りとは反対の展開になるみたいなので、何が起こるのかビクビクしながら過ごしている。そんな最近に観たいろいろの話。

 

裏運気だったからか、それとも消費していない運がここで輝いたのか、「さらば青春の光×藤井 健太郎 ~テレビでもネットでもできないし、個人事務所じゃなきゃできない映像LIVE~」のチケット争奪戦に勝利することができた。10時00分の奇跡。もう私の2020年の運はゼロになりました。

 

東京では2日間このライブが開催しており、1日目に行った。つまりこの映像ライブを世界で初めてみた貴重な178人のうちの1人になれた。誰か赤穂浪士的感覚で祀ってくれ。ライブを観たもののみの特権であるがゆえに、内容は口外することが出来ない。何でも共有、何でもネタバレ上等の時代に、反抗するかのような神秘性。もちろん紳士協定だから内容は墓場まで持っていく覚悟だ。事前の告知で公表された情報を改めて列挙すると

 

藤井健太郎によるさらば青春の光のとある映像作品

・テレビでもネットでも上映できず、映画館で上映された

・18歳以上の男子のみ観ることが出来た

 

というところか。このヒントから一体どんなものがスクリーンに投影されたか想像してもらいたい。多分、あなたの想像以上の光景だと思う。超展開に会場は大揺れ。一体何度拍手笑いしたことか。なんだかこの会場にいる人たちすべてが運命共同体となったかのような。見知らぬゴリゴリのバラエティジャンキーたちが散り散りに坂を下っていって、駅に向かって行く。この一夜の秘密を抱えながら、日常へ帰っていくことを考えるとそのそれぞれの背中が美しく見えた。またどこかで会おうな。

 

https://www.instagram.com/p/B78cNK5pTQV/

18歳以上の男性で本当に良かった。藤井健太郎さんあたおかでした。#藤井健太郎 #さらば青春の光

 

 

そんなゴリゴリのバラエティジャンキーの群れの一人であった私は、本多劇場でやっていた「山里亮太の1024」にも行ってきた。1024は2の10乗のことで、山ちゃんと非常によく似た里山亮太という40歳の男が人生で起きた分岐点を振り返りながら、2つの選択肢について長考する「選択」の物語だ。

 

舞台に登場するのは山ちゃんただ一人。Aの未来、Bの未来の世界をそれぞれ妄想しながら演じるからシームレスなピンの単独ライブとも言っていいのかもしれない。ところどころ、本編から逸脱したキラーツッコミや、簡単に第四の壁を超える演出もあり、舞台というフィールドを縦横無尽に暴れる山ちゃんのかっこよさよ。プロジェクションマッピングの使い方も素敵であった。

 

誰しも人生の選択を迫られる瞬間がくる。この里山のことを他人の人生として見守りながらも、どこかで自分の人生の引き出しから似た経験を探そうとする。なんとなく自分の人生と重なり始めた物語のクライマックスでの里山のあるセリフに胸を撃ち抜かれる。選択ができた幸せを噛み締めよう。選ばなかった道の先にいる自分も幸せであってくれ。

 

 山ちゃんの一人芝居を観た日は、はしごしてシベリア少女鉄道の「ビギンズリターンズアンドライジングフォーエヴァー」へ。シベリア少女鉄道は、毎度デフォルト設定で引いていた「演劇」の線を、易易と越えてくる。もう、チケットを買った時点で私はこの演劇の術中にハマっていたと後から気づいた。

 

あらすじを語ることさえもネタバレになってしまうから何と表現していいのかわからないが、この長いタイトルから、それぞれが想像するもの自体がもうストーリーになっている。私達が想像したものを見透かすようにシベ少の物語はアクロバティックに展開していく。驚きの0.3秒後に笑いが止まらない。

 

影絵というか、レイヤードローイングというか、そんな芸術作品を見たときの感覚に近い。観終わった後、電車の中で、今日の講演を振り返りながら、「いやどうやってあんな本書けるんだよ」とますます沼にハマってしまう私であった。

 

 

 

 

エル・ファニング大好きおじさん(『ティーンスピリット』観たマン)

ティーンスピリット』を観た。


映画『ティーンスピリット』(1/10公開)予告

 

ひとりの部屋で流す音楽ほどの精力増強剤ってあるのだろうか?家に戻ってきて、居間の灯りをつける。アウターを脱いで、手洗いうがいをしたら準備完了。かけたい音楽を大きい音量で再生したらショータイムのはじまりだ。きっと誰も見ることはないけど、いつかお披露目する機会があるといけないから、悔いの残らないダンスをする。

 

ティーンスピリット』は、主人公のヴァイオレットが外に座りながらiPodで音楽を聴いている場面からはじまる。彼女は学校に馴染めない内気な性格。バイト先のダイナーのステージで歌いながら、歌手として活躍することを夢見ている。そんなヴァイオレットの住む街にオーディション番組「ティーンスピリット」の予選会が行われることを知ったヴァイオレットは、このオーディションへの参加を決意する。

 

夢をつかもうとする少女・ヴァイオレットを演じるのは、エル・ファニング。そう、ぼくらのエル・ファニングだ。それはつまりどういうことか?そうです!ご名答!歌ったり、踊ったりするエル・ファニングが画面いっぱいに観られるのです。正直、話の展開なんて、なんとなく想像することが出来るでしょう。王道のシンデレラストーリーです。ただ、そんなことはどうでもよくって、『ティーンスピリット』はエル・ファニングの躍動を視細胞満タンに焼き付けて愛でる映画なのだ。

 

美声を響かせるエル・ファニング、緊張した面持ちのエル・ファニング、酔いどれるエル・ファニング、そのどれもが愛しいのですが、なんてったって一番の見所はNo Doubtの"Just A Girl"を爆音で聞きながらベッドの上で踊り弾けるエル・ファニングさんなのです。 ひとりの部屋でショータイムは万国共通のプレジャー。

 

こんな爛々と踊るエルとフェスに行ったら、、、みたいな妄想が膨らむ。もうゴリゴリの登山スタイルで挑む私に対して、比較的軽装でやってくるエル。でも、足元は履きなれたコンバース。こいつわかってると内心頷きながら祭りの国へ。お酒も大分入って、箸が転げただけで踊りだしそうな幸福感の中、お目当てのグウェン・ステファニーの時間。そして、あの曲のイントロが鳴り始める。ぼくはスクリーン越しに観たあの光景と同じものを観ていることに泣きそうになる。そして、ひとりの部屋で踊っているように音楽に任せて体を動かす。すべてはこの日のためにあったのだ。

 

そんなことを家で考えながらイヤホンから爆音で"Just A Girl"を流して舞っていた。檸檬堂うまっ。

  

 

 

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歴史になって分かること(『ジョジョ・ラビット』観たマン)

ジョジョ・ラビット』を観た。


タイカ・ワイティティ監督がヒトラーに!映画『ジョジョ・ラビット』日本版予告編

 

子供の頃に、ピンときていないことが、今振り返ってみると歴史のとんでもないひとコマだったということがある。関東に住んでいた私の場合で言えば1995年に起きた2つの出来事がそれにあてはまる。ニュースでみんながわいわい騒いでいるという記憶があるぐらいで、大変なことが起きているということはわかっているけど、それがどういう影響を与えていたのかわからなかった。少しずつ年を経るにつれて、多少であれ被害にあった人の話を聞く機会が増えて、ようやく大事と認識していく。あの頃の私は近くの公園で必死にブランコを漕ぐことしか出来なかった。

 

ジョジョ・ラビット』のジョジョもなんとなく、自分を取り巻く環境や起きている事の重大さをわかっていない。第二次世界大戦中のドイツで、少年兵士としての訓練を受けるジョジョだが、うさぎも殺すことができなくてヘナチョコ扱いされてしまう。そんなジョジョと周りの人々、そして"空想上の友達"であるアドルフ・ヒトラーとの戦時中の日常を描いた作品だ。

 

戦時中の日常を描いた映画だと『この世界の片隅に』が記憶に新しいが、その頃距離を隔てた同盟ドイツの国民たちはこう振り回されたのかと考えると、不思議とシンパシーを感じてしまう。

 

 

主人公である10歳の少年・ジョジョの目線で話が進められており、ポップでマジカルなタッチで描かれている。空想ヒトラーとともに暴走するジョジョや、吹き込まれたユダヤ人の"悪魔"っぷりを信じ込むジョジョ。有り余るエネルギーで戦時下のドイツを生き抜くジョジョが微笑ましい。

 

さらに愛くるしいのが、彼を取り巻く人々だ。風のような自由さを持った母親のロージージョジョの家に匿われたユーモアたっぷりのユダヤ人・エルサ、同い年の友達・ヨーキー、ヒトラーユーゲントの指導役・クレンツェンドルフ大尉など強烈なキャラクターたちとジョジョとのやりとりはずっと見ていたくなる。本当に戦争映画か?

 

ただ、そのように日常をコメディチックに描いているからこそ、突如、介入してくる大人たちの無慈悲な行動が悲劇となって心に突き刺さってくる。その手はジョジョの周りにも及び、彼の周辺にも色々な影響を与えていく。現在の私達は、このあとどういう結果になるか知っているからこそ、見るのが辛くなってくる。そういう経験のもと、段々と、事の重大さを感じ取り、大人の顔つきになってくるジョジョだけが唯一の希望だ。

 

 

オープニングではビートルズの楽曲、エンディングではデヴィッド・ボウイの楽曲が流れており、踊りたくなってしまう。しかも本人が、ドイツ語の歌詞で歌っているというのが面白い。イギリスのモンスターミュージシャンが、なぜドイツ語版を出すことに至った理由や、その楽曲が与えた影響を紐解いてみると、新たな発見があった。ただの反戦映画だけでなく、戦後のドラマについてもそれとなく提示してくる演出にニヤッとした。振り返ってみて気づくことっていっぱいある。

 

 

 

takano.hateblo.jp