砂ビルジャックレコード

カルチャーの住民になりたい

なんかいろいろ(チェンとかチェルミコとか)

うーむ、常に時間の物足りなさを感じている。といっても24時間が36時間になったとて、きっと同じ悩みを抱えているのだろう。映画は観ているが、その感想がいくつか溜まっている。よくないね。「有限だからこそ」というポジティブな解釈で、物を書いたり、短歌したり、アウトプットするようになりたい。押し迫られたらあかん。と、いいつつも最近は英語のクロスワードアプリにハマっているのでやばいです。

 

ということでひさびさになんかいろいろ。 8月には必ず真夏になる日が1日あるのをプロレスファンが知っているのだ。そうです。G1 CLIMAXの決勝戦を観に、日本武道館へ。音楽ライブなどで来たものはあるけども武道館でプロレスを観るのは初めてだ。武道たらしめる館としての真髄も味わいに来た。満員の会場は熱気ムンムン。

 

ミステリオの619を堪能し、とうとうメインイベントの棚橋vs飯伏。このシリーズの開幕前から優勝予想は飯伏だった私ですが、最後に入場してきた棚橋のセコンドとしてついた赤いタオルを首にかけた男の姿で感情が一変。大画面に映る柴田勝頼新闘魂三銃士で育った私なのですからそら泣くぜ?ロープ越しに棚橋の肩を支える柴田に、後楽園ホールでの壮行試合後に同じように彼の肩を支えた中邑真輔の姿を重ねる。中邑のときはケニー。今回は飯伏が対のコーナーにいる。似たような世界線

 

そういえば2000年代のG1CLIMAXは外敵から弱体化した新日本を守る戦いだった。新日本の内部の力がついて、その構図が薄れていったにせよ、柴田のセコンドによって生え抜きvsDDTという枠組みができたわけで。この決勝戦はその新日本vs外敵の構図がアップデートされた感じ。非情な足攻めににやにや。とにかく受けて受けて勝つ。今までの引き出しをすべて開けて勝ちきった棚橋弘至かっけえなあ。間違いなく2010年代の棚橋弘至のベストバウトのひとつだ。

 

ドハマリしておりますchelmicoのメジャーアルバム「POWER」しっかりフラゲさせてもらいました。

https://www.instagram.com/p/BmLmtwjgw-V/

パワーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!#power #chelmico #素敵なアルバムですね#ありがとうございます#急激なメディア露出にメジャーのpowerをひしひしと感じる#パワー

いや、もうメジャーってすげえですな。媒体への力!しょっちゅうラジオ出ててとうとうすべてチェックできなくなりましてん。unbordeやるなあ。 のれる曲、若者の琴線に触れるような曲、いろいろあるけども、そのなかの「デート」の、のんびりした雰囲気とリリックが非常にいい。これはポンキッキーズを狙いに来ている。

chelmico デート 歌詞 - 歌ネット

 

chelmicoのリリックは全体を通して、「酒」「タバコ」に関する表現が多い。(そして真海子は缶に入った飲料が好き)ところが「デート」に関しては酒もタバコもまったく出ない。家でカレーを作る描写と水族館に行く描写をノンアルコールで表している。そしてこの曲のコアメッセージである「2人が揃えばね それがデート」もシンプルだ。子どもたちが口ずさんでも問題はない柔らかい言葉をチョイスした構成は、このアルバムの中でも異質だ。これはポンキッキーズを狙いに来ている。

 

内村文化祭'18 灼熱を見に行った。はじめての生チェンである。

https://www.instagram.com/p/BmgJ5QpgxDT/

チェン最高かよ、、ウリナリとか笑う犬が血肉になってる世代から生で見れて幸せだったなあ#内村文化祭 #チェン

約2時間、ほぼ出っぱなしのチェンに大満足。正統派のコントからものまね、漫談、完コピ、劇とやりたいことやるだけ詰め込んで面白くさせるんだからすげえ。何回ステージ上でチェンは安室ちゃんへの愛を叫んだことでしょう。あー楽しかった!

 

それにしても、1日のステージで欅坂46と歌舞伎を両方披露できる人なんてチェンだけだ。憧れと、その憧れの人物の所作を自分のものに取り込もうとするバイタリティ。安易な言葉で言ってしまえば、ものまねなんだけども、圧倒的に本人に近づけようというか、努力で憑依させるというかそんな狂気こそが面白かったりする。チェンの無色透明の向上心こそがチェンをチェンたらしめているのかなあと。何回チェンって言ったん。

 

 

戻りたいし戻りたくないよセブンティーン(『レディ・バード』観たマン)

レディ・バード』を観た。

www.youtube.com

 

ついさっきまで高校生だった。。。なんて言えない年に来てしまった。なんとなく若者というハッシュタグをつけて今日まで生きてきたけども、もう期限切れなのかもしれない。 やや早送りした音楽に合わせて口パクの動画を撮る楽しさがわからないし、それにかわいいと思える感情がわかない。あらかじめ定められたBPMで踊り狂ってる女の子のほうがとっても好きだ。と、いってもおじさんの言うことなんか見向きもしない。それが若さってもんだ。

 

といっても、私は若い状態を経てこの現在形だ。いつの時代だって不変な若者の悩みは経験してきたつもりだ。そして、その苦さを思い出させてくれる映画が存在していることで、その若い状態からひとつづきで、今の私があることを再認識してくれる。このようなモラトリアム系映画はなんだかこっ恥ずかしいんだけどもどうしても観てしまう。去年の『スウィート17モンスター』とか最高でしたね。

 

takano.hateblo.jp

 

そのモラトリアム系映画に新たな傑作が誕生した。サクラメントに住むレディ・バードと自称する女子高生の多感な日常を微笑ましく描いている。無限大な能力を持ったように誤解してこの世に生まれたけれど17歳になると徐々に自分のできないことが見えてくる。辿り着けそうにない場所がわかってくる。そこに抗うために、恋に進学にレディ・バードはひたすら行動を起こす。友達を乗り換えてみたり、遊び上手な女になりすましてみたり、渡り鳥のように自分の居場所を変えながら、たどり着きたい場所を目指す。ただ、どこにたどり着きたいのはわからないまま。

 

未来への自分の期待と、それを思い通りに描けない悔しさが思春期の怒りの正体なのかもしれない。しかし、その衝動的にもがくレディ・バードが羨ましくてしょうがない。

 

そして、シアーシャ・ローナンが好きなんです。なんでしょうあの瞳で見つめられたら動けない。メドゥーサよ。そらレディ・バードもといシアーシャが同級生でいたらどんなにドキドキする毎日だったでしょう。しかし、レディ・バードの瞳には私は映らない。だってもっと上の方向を目指しているのだから。つらい。勘違いさせてもいいから高校の時バンドとかやっておくべきだったね。そういう経験がのちのち効いてくるものだよ。あの頃に戻ってやり直したいと思う一方で、今の自分も嫌いになれない。やり直したとて、違う歪みが生じることだってある。17歳を完璧に通る人間なんていない。あのときの後悔を糧にして今を進むしかないのだ。

 

 

予告編は観るな!ポップコーン買え!(『カメラを止めるな!』観たマン)

カメラを止めるな!』を観た。

 

 

予告編なんて観なくていいです。

 

 

巷でも話題の作品を見る時間がようやくできて、とうとう映画館に向かいました。ぎゅうぎゅうづめの満員で見る映画はあんまり好きではないんだけども、ときになんでこんなにも楽しいのだろうと思う瞬間がある。それこそ何にも考えることなく同じベクトルに感情を発散できる作品を見たときである。ブルース・リー的に言うならばDon't think just watch!

 

そう、この『カメラを止めるな!』もポップコーンとジュース持ってわいわいする娯楽映画であった。たいがいゾンビ映画とはそういうものだ。ある程度規定された展開、チェックポイントを抜けてゴールへたどり着く。幾多も存在するゾンビ映画でこのチェックポイントと我々の想像を超えていくのかが、醍醐味である。『カメラを止めるな!』は「ワンカットのゾンビ映画を廃墟で撮影中に…」という話だ。そして、ここから先は言うことができない。もはやこの作品に関しては、ネタバレをしないというのはコンプライアンス遵守と同等の意味だ。

 

この一行のあらすじで、「ふーん、、、どうせそういう展開なんでしょ」と察する未見のやつらこそ見てほしい。あらかじめ敷かれているゾンビのレールを疾走しながらのまさかの展開。「え、どういうこと?」が積もり積もっていくのを体感してほしい。それで正解だゾンビという虚構(もしかしたら真実かもしれないが)を真実に昇華させるのがスクリーンの中で、その中で起こる事実に目を逃さないでほしい。

 

そして結末にたどり着いたとき、あなたは晴れて感染者の仲間入りだ。秘密を知った側になったのだからぼくたちは共犯者だ。こんなにコンプライアンス遵守的に守秘したくなる映画も珍しい。開始時刻を観る。チケットを買う。売店で買う。映画を見る。そして秘密を守る。ただそれだけ。情報を入れるな!ポップコーンとジュースを胃袋に入れろ!!映画館の売上に貢献しろ!!