『ザ・ファブル』を観た。
およそ2年半前に販売された『ザ・ファブル』の第1巻に衝撃を受けたことを覚えている。帰りのスーパーで買物を済ませるように淡々と殺しのミッションを完遂させるファブルと、一般人の仮面を着けての「日常という非日常」生活に泰然自若と対応する佐藤明との対比が面白かった。それであっという間に実写映画化。そんで、ファブルが岡田准一だっていうんだから。なんだか見る前からにやにやが止まらなかった。
『ザ・ファブル』の世界観がまるごと実写化されているかといえば、そら、エンターテイメントであるし、最大公約数的な満足度のある展開を求めてるのはわかってる。戦略を立てて、朴訥アサシンっぷりをそのままに映像にしては盛り上がりに欠けるわけで、、と言いつつもあんなに派手に暗殺を決めてしまうファブルは、ファブルじゃねえ。しっかり原作読んだマンとして物申したいんだけども岡田くんのファブルっぷりがバチッとハマっているから、掲げた拳を開いて拍手することしかできないのですよ、岡田クーン。
ファブル特有のシビれるアクションパートとシュールなコメディパートを不足なく満たすことのできる俳優がこの世にどれだけいるのだろうか、という話である。ジャッキー・チェンならジャッキー出過ぎちゃうし、ドウェイン・ジョンソンならドウェイン出過ぎちゃう。一般人となって、輩に絡まれてあげるくだりとか 、ファブル=佐藤明としての説得力を持たせられるの岡田クーンしかいないわけである。
ファブル以外のキャラクターも、命が宿っていた。特に、小島役の柳楽優弥の狂いっぷりよ。そうそう、ファブルの周囲を取り巻く人物に求めていたのはこういう神秘的な狂気さよ。物騒になったこの現代社会で圧倒的に、人気のいない路地で出会いたくない人間ナンバーワンである。家の鍵を開ける数十歩前でも出会いたくない人間でもある。二冠だ。