砂ビルジャックレコード

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沈む乳歯(『ベイビーティース』観たマン)

『ベイビーティース』を観た。

 


映画『ベイビーティース』新予告編

 

乳歯から永久歯に生え変わる人間にとって、歯にまつわる迷信は、きっと世界中にあるコンテンツなんだろう。日本でいえば、下の乳歯が抜けたら屋根の上へ投げ、上の乳歯であれば、床下へ投げると、永久歯が真っ直ぐに生えてくるといわれる。そして海外で有名なのが、「歯の妖精」の話だ。抜けた乳歯を枕の下に入れ眠ると、寝ている間に歯の妖精が乳歯とコインを交換してくれるという。健康か金か。乳歯をめぐっても考えに違いが出てくるのが面白い。

 

そんな乳歯が直接タイトルになっている映画を観た。『ベイビーティース』だ。水の中にへ1本の乳歯が沈んでいくカットから映画が始まる。『ベイビーティース』という映画にふさわしい。本作の主人公はミラという深刻な病に侵されているが女子高生だ(しかも一本だけ乳歯が残っている)。制服のミラが電車へ乗ろうとするときに、謎の男とぶつかる。身体中タトゥーまみれのモーゼスだ。身なりはだらしなく、おそらくそういう店では入店禁止の短パンを履いている。

 

この出会いをきっかけに、ミラとモーゼスは会うようになり、ミラは徐々にモーゼスのことが気になりはじめる。モーゼスもミラを病人扱いせずに、遊びに行ったりするから、二人の距離はだんだんと近づいていく。とはいえ、重い病気を抱えた少女と不良青年の恋は多難だらけ。ミラの両親の反対や、進行する病気が二人の恋路に立ちふさがる。

 

全体を通して、緑色の描写が美しい。ミラの髪の毛、ミラの住む家の庭やプールの色、モーゼスの短パン、プロムに着るドレス。生に満ち溢れた色の中で愛を育む二人だが、この恋は、いつでも壊れてしまいそうだ。最初で最後の恋愛になるかもしれないミラが、刹那的にモーゼスとの時間を満喫している描写が愛おしい。満足に動けない体でも夜のクラブやカラオケバーを蝶のようにめぐるシークエンスが好きだ。本作は、シークエンスごとに小題がついているのだが、この夜の場面は「Romance」だった。辞書で「Romance」を引いたらこのミラとモーゼスの逢瀬が見れるようになったらいいのに。

 

寝る寸前に歯磨きしながら、鏡に向かいながら『ベイビーティース』を思い出す。冒頭に沈んでいった乳歯はどこへ行ったのか。歯の妖精が持ち帰ったのかな。ラストのとあるシーンは歯の妖精がコインの代わりに置いていったものだと信じたい。

 

藤岡拓太郎かよ

それは、この間の日曜日の昼下がりだった。私は近所を外出中で、横断歩道で信号を待っていた。横断歩道を渡った先は街の中心地で、スーパーやらマクドナルドがあり、向こうのほうが人通りが多い。信号が青になる。音楽を聞きながら横断歩道を渡る私。渡りきったところで、ショッキングな光景に出くわす。そして、思わず心のなかでつぶやいてしまった。「藤岡拓太郎かよ」と。

 

スーパーから出てきたおじさんが、キャベツだけ持って出てきたのである。

 

藤岡拓太郎の世界に実写版があるなんてと困惑しながら、なんだか胸の鼓動が早くなる。心を落ち着けなきゃと、人通りの多い中心地から路地に逃げて、一時停止する。

 

冷静になって、そのおじさんの選択した行動は理にかなっているなと気づく。日本では小売店を対象に、2020年7月1日からレジ袋有料化が義務付けられたのだ。キャベツだけ必要なおじさんにはレジ袋など必要なかったのだ。むしろ、キャベツだけを持って帰るより、レジ袋にキャベツだけを入れて帰るほうが恥ずかしいのではないか?と思うようになってきた。レジ袋にキャベツだけは、網にサッカーボールを入れた少年のようで、半袖短パン少年じゃないといけないし、キャベツが白黒じゃないといけないわけで。その恥ずかしさを晴らすために、欲しくもないものを追加で買って、普通の買い物と見せることも考えるが、それはお金の無駄だ。だったら潔く裸キャベツ。藤岡拓太郎はただの予言者だったのだ。

 

ただ藤岡拓太郎の絵とは大きく違う点がひとつあった。小脇にキャベツを抱えてたわけではなく、ハンドボールのように右手でキャベツを鷲掴みしていた。きっと掴みごたえのある野菜ではトップクラスに入るだろう。じゃがいもと競り合うはずだ。そっかキャベツはハンドボールだったんだ。

 

ハンドボールはないけど、キャベツの生産量が異常に多い地域があるならば、学校の体力テストのときはキャベツを遠投するのだろう。(中学・高校男子ぐらいの手であればキャベツが妥当だろう。これを3号とする。そうすると2号はレタスがいいところだ。)肩が自慢の高校球児が投げたキャベツは独特の回転をしながら中を舞い、校庭へ落下する。飛び散る外の葉たち。学年で1位の記録が出たことを喜ぶ高校球児。2回バウンドしてから転がりだすキャベツ。「良い記録が出たぶん走らないけないんだよなあ」ウイニングランを決めた高校球児は停止したキャベツを拾い、右手で鷲掴みすると、次の生徒に手渡した。

  

もしや、あのおじさんはキャベツ投げの地域で青春時代を過ごしたのかもしれない。久しぶりにキャベツが投げたくなって、衝動的にスーパーに入ってしまったのだろう。たしかに、おじさんの向かっていた方角の先には、広い公園があったはずだ。皮肉なことに、東京の公園では「キャベツ投げ禁止」の看板は立てられていない。ルールの隙間をついて、日曜の休日を楽しもうとするおじさんが羨ましく見えた。

一生鼓膜がひなまつり

耳の日だからという理由ではない。3月3日が近づくとあの曲が脳内をかけめぐる。小さい頃にモー娘。全盛期だったため、ミニモニ。の『ミニモニ。ひなまつり』が勝手に流れ出す。あと、何回3月3日を生きるかわからないが、天珠を全うするならば少なくともあと70回は『ミニモニ。ひなまつり』はオートでかかり出す。

 

久しぶりに正解を聞きたくなって、YouTubeで本物を探す。頭の中で「ミニモニ!ひなまちゅり!」というリフレインが止まらなかったので、「ひなまちゅり」が題名だと思って検索してたんだけど、「ひなまつり」が正しいタイトルだということを知る。記憶の歪みは恐ろしい。

 

再生ボタンを押す。そうそう、細かくステップしながら移動するの真似してたなあ。この動きがなんだかツボだった。十二単の衣装だからあのステップが可愛く見えるのであって、その頃のシャカパン少年にはその魔力は発揮されなかったのである。

 

子供の頃にミニモニ。を見ていたから、見た目の年齢感覚が未熟だったというのもあるけど、あのころの辻ちゃん加護ちゃんってほんとうに子供だったんだなあと気づく。コメント欄を見ると「ミカだけ衣装が違うのかわいそすぎる!」という物心付く前からなんとなく感じていたミニモニ。あるあるの不満を消化させた書き込みに共感したけど、別の『ミニモニ。ひなまつり』の動画を見たら、全く同じ人物がミカの衣装だけ違うことに不満を漏らしていたので、急に冷めて戻るボタンを押した。

 

他のミニモニ。の動画を観たくなり、関連動画に上がっていた『ミニモニ。テレフォン!リンリンリン』を再生する。「パカパカ電話パッカ」という歌詞にノスタルジーを覚える。電話の歴史を考えてみれば折り畳める時代って特殊だったんだよなと気づく。そのあとに、「写真を撮りましょう カシャカシャカシャ」があるんだけど、MVでは携帯ではなく、フィルムカメラを使っていたことに、驚く。そうかこのときは、ガラケーであるが、カメラ付き携帯はそんなに普及していなかったのか。写メールやらJ-PHONEやら記憶の中でしか使うはずでない言葉を口にしてみる。

 

いまや、携帯からはボタンが消え、カメラから動画撮影から、作曲から何でもできるようになった。文明の進歩は恐ろしい。今度は一体どんな革新がもたらされるのだろうか。一方、いまだにお好み焼きどんぶりは発明されていない。