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ファブらせていただく(『ザ・ファブル』観たマン)

ザ・ファブル』を観た。

 

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およそ2年半前に販売された『ザ・ファブル』の第1巻に衝撃を受けたことを覚えている。帰りのスーパーで買物を済ませるように淡々と殺しのミッションを完遂させるファブルと、一般人の仮面を着けての「日常という非日常」生活に泰然自若と対応する佐藤明との対比が面白かった。それであっという間に実写映画化。そんで、ファブルが岡田准一だっていうんだから。なんだか見る前からにやにやが止まらなかった。

 

takano.hateblo.jp

 

ザ・ファブル』の世界観がまるごと実写化されているかといえば、そら、エンターテイメントであるし、最大公約数的な満足度のある展開を求めてるのはわかってる。戦略を立てて、朴訥アサシンっぷりをそのままに映像にしては盛り上がりに欠けるわけで、、と言いつつもあんなに派手に暗殺を決めてしまうファブルは、ファブルじゃねえ。しっかり原作読んだマンとして物申したいんだけども岡田くんのファブルっぷりがバチッとハマっているから、掲げた拳を開いて拍手することしかできないのですよ、岡田クーン。

 

ファブル特有のシビれるアクションパートとシュールなコメディパートを不足なく満たすことのできる俳優がこの世にどれだけいるのだろうか、という話である。ジャッキー・チェンならジャッキー出過ぎちゃうし、ドウェイン・ジョンソンならドウェイン出過ぎちゃう。一般人となって、輩に絡まれてあげるくだりとか 、ファブル=佐藤明としての説得力を持たせられるの岡田クーンしかいないわけである。

 

ファブル以外のキャラクターも、命が宿っていた。特に、小島役の柳楽優弥の狂いっぷりよ。そうそう、ファブルの周囲を取り巻く人物に求めていたのはこういう神秘的な狂気さよ。物騒になったこの現代社会で圧倒的に、人気のいない路地で出会いたくない人間ナンバーワンである。家の鍵を開ける数十歩前でも出会いたくない人間でもある。二冠だ。

 

 

 

アイスケーキ(結成6年目)

サイゼリヤに週1ペースで行っている。晩御飯を作るのもめんどくさい。かといってあまりお金を使いたくないという心理状態が頻繁に現れるのだけど、少し帰り道を遠回りしたところにあるサイゼリヤは、その欲望を過不足無く満たしてくれる。

 

カフェは喫茶店とは違う喧騒もなんだか好きだ。金曜か土曜の深夜にサイゼリヤに行けば、大体、大学生の集団はドリンクバーを片手に恋バナをして、40代ぐらいの女性二人組はデカンタでワインを空けながら恋バナをしている。おっさんの集団は辛味チキンをつまみながら、仕事の愚痴を喋っている。恋バナしろよ。

 

そんな賑わいの中で私はひとりで入店し、黙々と腹を満たす。歳をとったからか、ひとりでファミレスに入るなんていう恥じらいはどこかへ消えてしまった。会計待ちをしている大学生の集団には一瞬ビビるけど。

 

大体さっと食べれるパスタ系を頼むことが多い。たまにディアボロ風のチキンステーキ。調子がいいと、デザートも頼む。頼まないときもあるが、メニュー表の最後部をチェックして自分自身にお伺いを立てて、注文ボタンを押すのがルーティーンだ。

 

今日もデザートの最後部を眺める。デザート名の表示の仕方にふふふとなる。

 

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カプチーノとティラミスのあとに注釈のように添えられた(アイスケーキ)。私はこれが、コンビ名に見えてしょうがなかったのである。テレビの見すぎ、バラエティの見すぎ、エンドロールの見すぎと言われても仕方がない。ただ、私の中ではむくむくとアイスケーキという若手コンビの人となりが立ち上ってくる。

 

結成6年目のアイスケーキは東京のライブシーンを中心に活躍している。最近はK-PROのライブにも呼ばれたりしている。主にコントを中心にやっているが、たまに漫才もやったりする(といっても、M-1用という意味合いが強い)。コンビ名の由来はお互いの好きな食べ物を並べたという安直な理由である。

 

ボケのティラミスは、少しとがったタイプで、一匹狼な性格。シュールなボケが多い。ネタを書いているのもティラミスで、「音不動産」とか「めくるやつ」とか「じゃんけんの手が256ある日常」といった、独特の世界観のあるコントを作成している。YouTubeで見たラーメンズのネタをきっかけに、芸人への道を志したらしい。

 

ツッコミのカプチーノはティラミスと違って、飲み会にも積極的に出たり、先輩との関係を重んじるタイプ。かといって後輩後輩していないところが、業界内では評判が良かったりする。ティラミスの描く不思議な世界に対しても、違和感なく紛れ込み、飄々とツッコむ感じはポップささえ感じさせる。漫才のときは、ツッコミらしくツッコんでいるよう使い分けているとのこと。特技はボウリングで最高スコアは299。

 

そんなことを妄想しながら、店員さんを呼んでアマトリチャーナカプチーノを注文した。店員さんが言うことにゃ、もうカプチーノは期間限定外のメニューで置いていないとのこと。アイスケーキは、どうやら解散してしまったらしい。ピン芸人としてのティラミスの活躍に期待したい。

ガイ・リッチー総決算(『アラジン』観たマン)

『アラジン』を観た。

 


「アラジン」本予告編

 

女友達あるあるをひとつ。「女友達にひとりはカラオケでホール・ニュー・ワールド歌うやつがいる」これ、実際の学生時代の女友達もそうだったし、カラオケで悪趣味ながら他人の履歴を遡ると、絶対ホール・ニュー・ワールドが残っている。調べてみたらカラオケの洋楽ランキング1位だった。ちゃんと歌えたらかっこいいもんな。もはや現在のデュエット曲の定番は、ロンリー・チャップリンでもWon't be longでもなく、ホール・ニュー・ワールドなのだ。

 

私はたまにひとりでカラオケに行くと、その履歴からこの曲を送信してしまう。裏声と地声を使い分け、アラジンとジャスミンになろうとする。途中で掛け合いがあるから歌えなくなるんだけど構わない。一回目のサビでだいぶ満たされる。ひとりきりのカラオケボックスこそ私だけのホール・ニュー・ワールド

 

この主題歌の印象が強いアラジンが実写化される情報が流れてきた。魔法のランプの青い魔人・ジーニーをウィル・スミスが演じるという超キャスティングにも驚いたが、一番の衝撃は、あの大好きなガイ・リッチーが監督を行うということだった。え、あの『スナッチ』とか『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』みたいなギャングとか闇ボクシングとか、そういうファンタジーとは真反対の世界観の映画を撮ってきた人だよ?それでもってディズニーだよ?もしかしてディズニーに騙されているのか、それともディズニーが騙されているのか、いてもたってもいられなくなって、『アラジン』を観た。

 

間違いなく、間違いなく、ディズニーの世界観にガイ・リッチーがプンプンに漂う映画体験だった。なるほど、ガイ・リッチーが監督に抜擢されたのはそういうことだったのか。主人公であるアラジンの心の清らかなコソ泥であるというキャラクター性が、彼が今まで作り上げた映画の世界観とマッチするのだ。

 

冒頭のガヤガヤとした市中でアラジンが追っ手から逃げるシーンは、まさにガイ・リッチー。ごちゃごちゃした路地を主人公に逃げさせたら一級品よ。ダイヤの原石の成り上がりストーリーは『キング・アーサー』でも経験済み。そこに、ディズニーの清らかさ、お行儀の良さが加わるものがからアラジンというキャラクターの魅力がグンと増す。

 

そんな一方で、『スナッチ』のようなバイオレンスな描写を加えた展開が二転三転するアラジンも見てみたかったなあと個人的な妄想。ジャファー以外にも魔法のランプを狙う勢力が出てきてさ、多少の血しぶきも出てさ、アラジンも多少の拷問を受けてさ、魔法のランプがコロコロ転がって意外なやつがこすったりしてさ...Rated Aladdinご一考ください。

 

ガイ・リッチー映画って「裏路地の男の世界!」みたいなイメージだけど、今回はその固定概念さえもふっ飛ばしてしまった。ヒロインのジャスミンがかっこいい!全体的に今回の『アラジン』に登場する女性キャラクターから強さを感じる。この描写はガイ・リッチー版アラジンの一番の特徴だろう。『コードネームU.N.C.L.E』での強い女性像を描写した過去がここでもバチッとハマったのではないかと、勝手に紐づける。過去の映画でのポイントポイントが絡まって、この2019年版の『アラジン』を作り上げたのです。ガイ・リッチーの総決算でしょう。

 

旧来のマッチョイズムなプリンスでないアラジンと、行動的なプリンセスのジャスミンのバランスもちょうどいい。失意の中で「Speechless」を歌うジャスミンには心が震えた。このやるせない感情描写に出会っただけでも映画館で見た価値があったなあと。ああ「Speechless」も、ひとりホール・ニュー・ワールドで歌ってみたい。